雨もみじ アナと雪の女王 角の生えた男

午後から雨天。


幼稚園のスクールバスが門前に来たので迎えにでたら、雨に打たれたもみじが綺麗だった。









昨日は妻と「アナとゆきの女王」を観に地元の映画館へ。



映像、音楽、歌唱、吹き替え…どれも予想以上に秀逸で、特に松たか子さんの歌が良かった。


エルザが雪の中で歌う「Let It Go」…


日本人の感覚なら自分の能力に悩み、残された人々のことで煩悶するのだが、実にあっさりと自分を肯定することができるというのが日本人の感性ではないという気がした。この部分は実に“かの国の感性”なのだといろんな意味で感心した。



しばらく前に妙好人の話を読んでいたので一層印象に残ったのかもしれない。





 浄土真宗の熱心な信徒のなかでも、とくに信仰が篤く、徳行に優れた人物を「妙好人」という。教理に明るく、学識に富んだ高僧というのではなく、市井に暮らす農民や職人で、純粋な念仏信仰を持つ存在である。
 浅原才市は、江戸末期、島根の温泉津に生まれた。船大工を職として、晩年は下駄作りで暮らした。この在俗の一職人を、禅の大家として世界的にも知られる鈴木大拙は「才市は悟道の達人であった」と評している。また、その詩についても、北原白秋は「まさに天衣無縫の天才詩で、わたしには、この詩は真似できない」と激賞している。

             佐藤和彦「現代人のための禅問答入門」




才市は自分の肖像画が描かれたときに頭に角を描かせたという。


生地である温泉津(ゆのつ)にある才市の銅像にも同じように角が生えている。
才市は生涯、自分を<わるいやつ>と嘆じたという



この感覚は紙一重だと感じる。


自分は悪いやつ、自分ほど悪い人間はいない…といいながら自分を肯定する人に時々出会うからである。



真性に自分を否定するという感覚は、常に自分を見つめ、意識化することで至難である。




この才市という人物はひたすらな念仏三昧のなかでこの境地に達したのかもしれない。





称えても 称えても また称えても

    弥陀の呼び声なむあみだぶつ





如来さんはどこにをる 如来さんはここにをる 
   
    才市が心に満ち満ちて なむあみだぶつを申しているよ




    ほとけから

    ほとけをもろうて

    なむあみだぶつ

    なむあみだぶつが

    わしのほとけよ


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