昨晩10時頃 きくち体操
昨晩10時前に
本堂の音声モニターから盛んに音がすることに気がついた
ガッサガッサガッサ…
しばらく耳を澄ますが音がやまない。
何かが動き回っているようである。
人間のようでもあり、動物のようでもあるし
本堂の中で物色しているようでもあり、微妙…
先日も賽銭泥棒に遭ったばかりなので一層気になった。
仕方がないのでLEDライトと木刀を持って本堂へ。
本堂まではちょっとした山道を歩かねばならない。
マムシに咬まれたらいやなので長靴を履いた。
熊に遭遇する可能性もゼロではないのでちよっと緊張。
本堂に突入するも…人影は無し。
何だったのだろうか…
年に2回くらいこんなことがある。
- 作者: 菊池和子
- 出版社/メーカー: 青春出版社
- 発売日: 2012/04/20
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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「体操」と名のつくものをどこか軽く見ていたのだが
「きくち体操」の考案者である菊池和子氏の書かれたもの読み、実践してみて
浅見であったと反省中…
この体操には
哲学がある。
信念がある。
まっすぐな思いがある
<私達は自分の体で生きていくしかない>と言う当たり前の事実から出発して、<自分以外にその体をよくしていけない>という考えのもとに組み立てられている。
ダイエットとか美魔女とかいうのとはかなり異なる出発点である。
周りのお年寄りを見ていると、病気になると病院に行くというのが当たり前だが
何かが決定的に足りないと感じている。
自分自身の体を養生するという考えや実践は絶対に不可欠だと思うのである。
きくち体操は<筋肉>と<身体意識>を重視していて
理にかなっていると思う。
長い間、東洋医学に関心があって随分いろんな勉強をしてきたが
ツボとか気とか経絡という非物質の存在が前提となっている場合
それを受け入れられないと先へ進めない。
筋肉を育てるという発想なら万人に受け入れられやすい。
自治体やサークル活動ででこういった体操を行っても大きな間違いが生じないだろう。
きくち体操は高齢化の時代の<社会体育>になりえると思うのである。
身体意識を持つということは脳の刺激としても大きな役割を持つはずである。
ボケにくいとか、脳を活性化させるという効果も当然期待できる。
気功や経絡の観点からは筋肉が発達することは気の循環を決定的に良くすることになる。きくち体操は手足の指を重視しているが手足の末端には重要なツボが数多くある。
いいことずくめではないか。
惜しむらくは、この体操は女性の感性にはフィットしやすいが、男性にはなじみにくいだろうということである。この体操の愛好者は女性が圧倒的に多い。
ヨーガをやることが多いが、開脚するということひとつとっても男性的な発想だと「どれだけ開いたか」ということに意識がいってしまいがちだが
自分の体に意識を向けるとか、脚のどの筋肉に意識を向けるか、どの筋肉を育てるか…それらを通じて自分の<命>というものを感じようというのである。
勝ち負け、善悪ではなく、自分の体を構成する筋肉や身体意識を充実させるというのは優れて女性的な発想であると感じる。
しばらくこの体操にハマってみようと思っている。
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