来訪者 老子に胸ぐらつかまれて
来客と楽しく話しをしたりお茶を飲んだりするが好きで
来訪の予定があると、お茶がいいかコーヒーがいいかなどと考えるのも楽しく
そわそわしてしまう。
ただし…
住職というのは「ずっとお寺に居る人」というイメージあるらしく
突然、予期せぬ訪問を受けることがあって、これはちょっと困ることがある。
先日も遠方まで泊りがけででかけることになり、玄関で大急ぎで荷造りをしているところへ訪問者があった。
無碍にお断りできない用件だったのでお話を聞き、御供養させて頂いた。
山寺を出たのは列車に乗るにはぎりぎりのタイミングだった。
出先でカバンから玄関の照明のリモコンが出てきた。よほど慌てていたらしい。
お寺に行くときは事前にアポをとりましょう…
先日、市内のお寺で水子供養の法要があり出仕させて頂いた。
法要の後、ご住職や役員さんと会食しているときに五大明王の話題になった。
5つでワンセットというのは明らかに五行思想の影響であろう…と帰ってから考えた。
じゃんけんではどれかが一番強いのではなく、組み合わせによって優劣が決まる。
同じように五行思想の要素も相手との組み合わせで優劣がきまる。
木火土水水という5つの要素が助け合い、打ち消し合う。
宇宙というのは性質の異なる要素のバランスによってできているという思想には奥深いものを感じる。
昨日の産経に武術家の甲野善紀氏のインタビューがあり、興味深く読んだ。
甲野氏の著書は随分読んでいてファンといっていい。
常に研究しとどまることがない。武術だけに限らずスポーツ、介護など
他のジャンルとの融合も自由自在である。
頭でっかちの時代が終って身体智の時代がくるのだろうか。
- 作者: 福岡正信
- 出版社/メーカー: 春秋社
- 発売日: 2004/08/20
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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密林の古書から届いた「〔自然農法〕わら1本の革命」を手にとってパラパラ読んだら久々に危険な読書の予感。
この本の表紙を見ながら思い出したことがある。
大学時代に一番の親友を通じてある農業事業団に出会った。
当の親友は就職も内定していたのだが、大学を中退してこの農業事業団に就職してしまった。
文明が農業から遊離していくなかで、自然に最も近い農林業に身を置くということは、文明に対する批評を生む素地になるのだと思う。
初版は1983年であるから半世紀近く読み継がれている本である。
ここで述べられている現代文明やアメリカ社会への批判や警鐘は現代でも正鵠を射ていると言わざるを得ない。これはある意味驚くべきことではないかと思う。
日々漫然と読書をしているが、自分の読んでいる本がこれから半世紀も読み継がれるだろうか…という視点に立ってみると、これは実にハードルが高いことに気づく。
本書は農業の実践を通じて、自然を観察し、反照して人間社会の矛盾を見つめ、
自然とは何か、人間とはどうあるべきかという根源的な哲学とその実践にいきついたという魂の彷徨の記録なのである。
ついには耕さない、肥料をやらない、除草をせず、しかも多収穫を実現するという驚くべき農業が生まれていく過程には心を揺り動かされるものがある。
著者は人知や人為は一切が無駄であるという結論に至るのである。
柔和な老農夫としての温顔の中に赫々たる眼光を感じるのである。
人為は無駄であり、無価値であるという“結論”はもしかしたら全てのジャンルにおいて導き出されるものかもしれない。
それは極めて危険であり、極めて魅力的な思想である。
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