屋根裏の散歩者 キッチンのUボート お釈迦様のヘアスタイル 


最近、しきりに天井裏で足音がする。


ネズミよりももっと大きな物体であることは間違いない。
ストロークが長く跳躍するように走っている。


私のイメージではテンやイタチではないかと思うのだが。


昨晩、ブログを書いていると、天井の片隅でやたらと物音がする。


ガリガリ、バリバリ、ザラザラ、ドサッドサッ…


って、明らかに一箇所で何かの“作業”をしているようなのである。


近々、天上裏に上がって様子をみないといけないかと思うとちょっと憂鬱になった。


Uボート・コマンダー―潜水艦戦を生きぬいた男 (ハヤカワ文庫NF)

Uボート・コマンダー―潜水艦戦を生きぬいた男 (ハヤカワ文庫NF)



密林の評価が高かったので「Uボートコマンダー」を購入。


キッチンに置いてお湯が沸く間やトーストを焼く間にパラ読みしている。


Uボートの“U”とはドイツ語の“Unterseeboot”(潜水艦)の略称である。


陸軍国ドイツが米英の海軍に抗しえたのはUボートの活躍が大きいとされる。


緒戦では大きな戦果を挙げたUボートも対潜兵器の発達や物資不足、サボタージュ、スパイ活動などによって危機に追いこまれ満身創痍となる。


対戦中に出撃した820隻のUボートのうち718隻が失われた。
3万9000人の乗組員のうち、32000人が未帰還である。
Uボートの兵員は極めて過酷な戦場を戦い抜いたのである。


1944年以降、フランス西部のドイツ潜水艦吉から出撃した経験を持つUボート艦長で戦後まで生き延びたのは1人しかいない。それが著者のペーター・クレーマーである。


絶体絶命の死地から度々生還したことから「生命保険」という異名をとり、
多くの新兵が彼のUボートに配属されることを希望したという。


緒戦の大きな成果から敗戦にいたるまでのUボートの盛衰が述べられている。


一箇所だけ笑ったところがあった。


Uボートの乗組員に提督から男の子が誕生したという知らせが届いた。その通信文は…


「潜望鏡つきのちっちゃな水兵誕生」


だったそうである。


ブッダの真理のことば・感興のことば (岩波文庫)

ブッダの真理のことば・感興のことば (岩波文庫)



岩波文庫「真理のこちば 感興のことば」(ワイド版)を時々読んでいる。


沢山の短句で構成されているが、そのかなりの部分はお釈迦様が実際にお説きになった言葉だと思うとやはり尊い気がする。


その短い言葉の中から当時の習俗や生活が垣間見える気がする部分が多い。


『裸の行も、髷に結うのも、身が泥にまみれるのも、断食も、露地に臥すのも。塵や泥を身に塗るのも、蹲って動かないのも、疑いを離れていない人を浄めることはできない。』
(第三十三章 一)


当時の修行者の様子がつたわってくる。
苦行に類する修行が賞賛されたのであろうか。



『愚か者よ。螺髪を結んで何になるのだ。かもしかの皮をまとって何になるのだ。汝は内に密林(=汚れ)をいだいて、外側だけを飾っている。』(第三十三章六)



「螺」とは巻貝のことである。

普通、螺髪というと仏像の髪の巻貝のようなカールのことを指している。
「真理のことば 感興のことば」には再々「螺髪に結う」という表現があって、明らかに髪型のことをさしている。

注釈によれば巻貝のように髪を結い上げることが行われたようである。


仏様の頭も頭頂全体がもりあがっているのことが多いのでおそらくそのことと関係があるのだろう。


お釈迦様も恐らくはそうした「巻貝のような髪型」をされていたに違いない。



「巻貝のような頭」というと私が連想するのはキャバい感じの女性で頭を盛り上げて結っている人であるが…





現代のインドでは仏教ではなくヒンドゥー教が盛行している。


古代インドのヒンドゥー教ではバラモンという世襲化された司祭階級が社会の最高位を占めていた。




おそらく当時のバラモン達には批判にあたるような振る舞いがおおかったのだろう。
バラモンへの批判の言葉が多く収められている。


ちょうどイエス・キリストユダヤ教の司祭たちを批判して真の信仰を求めたことに似ていないだろうか。


螺髪を結っているからバラモンなのではない。氏姓によってバラモンなのではない。生まれによってバラモンなのではない、と伝えられている。大きかろうとも小さかろうとも悪をすべて除いた人は、諸の悪を除いたのであるから<バラモン>と呼ばれる。』(第三十三章 八)



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