ゲームの達人 夢幻の世

本日も天候不順で夕刻より雨。




連日の酷暑という夏にはならなかったが、



自然には秋の気配が満ちているようである。




田んぼや用水路を群れ飛ぶトンボ。



秋の虫の声。



何ということもない風の感触や空の色も刻々と秋に近づいていることを感じる。








本日は兼務寺院にて留守番。



朝と昼を食事を抜いて野菜ジュース少々だけにしてヨガと気功を少し行う。



お盆前後の法務で少し分離しかけていた心と身がようやくリセットできた気がした。




夕方から降り始めた雨は夜半にほぼやんだが、微かな雨音の混じる中を秋の虫が鳴き続けているのは実にしんみりとした空気である。陽が暮れると秋の気配が一層濃くなる気がする。






久しぶりにYoutubeの動画に感心。



殆ど達人レベルの足さばきを見せるゲーマーのTAKASUKEさん。










最近、インド系の宗教書を何冊か読みいくつか新鮮な感想を持った。





この世とはスクリーンに映った幻影のようなものではないか。



それらの著者が共通して説いていたところである。



スクリーンに火が映しだされてもスクリーンは焼けず、水が映されたからといって濡れるわけではない。


自分自身という意識もまた幻影でしかない。



幻影としてのこの世を越えたところにあるスクリーンという絶対的存在に気づくことが出来るかいなか。気がつくという意識活動もまた幻影であるとしたらそれは至難である。




映像の背後にスクリーンがあるように全ての幻影なる存在はその背後に常に絶対なる存在をともなっているということである。



そのことを知識としてではなく、正に実感できるかということにかかっている。



それは長い長い認識の旅として私を誘っているようである。



この世は夢幻なのか、その幻影にとらわれて儚い生を終えるのか。それともその背後の実体にいつか逢いまみえることができるのだろうか。

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