電話で苦労 斜陽 永遠の零

  




兼務寺院(真言宗御室派)の檀家さんから電話があった。


代替わりされてまもない20代の檀家さんである。


しばらくお話した後、「お寺の宗派を教えていただけますか?」と言われたので


「宗派は真言宗です」とお答えしたら、「どういう字を書きますか?」と聞かれてちょっと困った。

小松左京氏が「SF作家クラブ」という名称で旅館を予約して出かけたら、「SFサッカークラブ」と歓迎の看板が立っていたという話を思い出したのである。


電話で固有名詞を伝えようとして苦労したことが再々ある。



「『真実』の『真』に、『言』は…」と言いかけて何といっていいか分からなくなり

「『日本語』、『英語』の『語』という字の左半分」といったら…


「じゃあ『言う』という字ですね」


仰るとおりです(苦笑)

それからさらに…

「正確には真言宗御室派で、本山は仁和寺です」と言ったら,


「ホンザンはどう書きますか?」


…そこからさらに『本山』『仁和寺』『御室派』の説明が続いた…


電話で漢字を伝えるというのは難しいのです。





昨日の朝日新聞に…

「小保方が何を言おうと検証実験で再現出来ないのだからSTAP細胞は無い」


という記事の隣に…

「検証結果がどうであろうと、被害者の声があるのだから慰安婦問題はあった」


という記事が載っていたらしい(笑)


誰か紙面の写真をアップしてほしい。


言葉の流星群 (角川文庫)

言葉の流星群 (角川文庫)


「焼きが回った」という表現があるが朝日はかなり危なっかしい。


昨日の朝日の夕刊で池澤夏樹という作家がコラムを書いていてその内容が…

路面に安部首相の顔を落書きして通行人に踏ませようとか

原発再稼働反対」と書いた交通標識の偽物を立てようとか

お札に「アベノミクスで価値半減」と朱書きしようとか


犯罪を教唆しているとしか思えない内容だったそうでかなり物議をかもしているようだ。



【関連記事】http://ameblo.jp/fuuko-protector/entry-11919193357.html


朝日新聞日教組社会党というコングロマリットが日本の言論、思想、教育に大きな影響を与え続けたがもう終焉の時を迎えつつあるようだ。


北斗の拳の台詞にありました…


「おまえはもう死んでいる」










「敗戦によってすべてを失った日本国民に対して、外国人のなかに今日なお畏敬の念が残っているとすれば、それは二大洋の空をおおうて活躍した零戦を作り出し、これを駆使しえた能力をもつ民族としてであろう」巌谷英一(海軍技術中佐)


最近、零戦に関する書籍を3冊ほど関係の書籍を購入。

零戦と堀越二郎 (別冊宝島 2024)

零戦と堀越二郎 (別冊宝島 2024)

零戦堀越二郎




いかにも「風たちぬ」の公開に乗っかったような表紙だが(笑)

届いてみればA4サイズの本であることが判明。

でかい…


見開き全面のイラストなどはA3サイズなので迫力がある。



零戦の構造、各型、戦歴、各国の戦闘機、太平洋戦争での活躍、撃墜王たちの評伝と盛りだくさんである。零戦の入門書として良いのではないだろうか。

零戦の遺産―設計主務者が綴る名機の素顔 (光人社NF文庫)

零戦の遺産―設計主務者が綴る名機の素顔 (光人社NF文庫)


堀越二郎零戦の遺産 設計主務者が綴る名機の素顔」(光人社NF文庫)
堀越二郎零戦 その誕生と栄光の記録」(角川文庫)



前者はどこか淡々とした記述であるが後者は表現に血肉が通っていてでいきいきと読後感が遥かに良い。

同じ著者が同じ内容を書いて印象がことなるというのも面白い。(どこかで手が入っているのか…)



戦争という巨大な流れは個人を圧倒するが、その一方で零戦という一兵器が果たした役割は巨大であり、しかもその兵器の設計者が1個人であるというのは何を意味するのだろうか。




零戦が生まれた経緯には海軍軍縮条約により戦艦の保有を制限されたことにより、航空機の活用に期待が寄せられたことがおきいであろう。

掩護戦闘機として長大な航続力と空戦性能により味方の攻撃機を掩護する能力と
迎撃戦闘機として敵の攻撃機や掩護戦闘機を上昇力、速度、火力、空戦性能において凌駕することが求められた。


航続力や空戦性能だけに特化することは難しいことではないが相反する性能に外国の新鋭戦闘機に比肩する性能をもたせるという過大な要求が突きつけられたのである。



「たとえていえば、十種競技の選手に対し、5千メートル競走で世界記録を大幅に破り、フェンシングで世界最強を要求し、その他の種目でも、その種目専門の選手が出した世界記録に近いものを要求しているようなものであった。」(「零戦 その誕生と栄光の記録」)

堀越二郎らはその要求に見事に答えたのである。



大戦中、世界的な傑作機を生んだ日本の航空産業は戦後、明らかに欧米に頭を抑えられてきた感がある。


それは日本が零戦のような傑作機を生んだことへの畏怖からであったのちがいない。


国際関係というのは決して“仲良しクラブ”ではない。
自己を脅かしたものは徹底して排除するというシステムが厳然として存在している。

その時代に語られる平和は欺瞞や空疎さのない現実的なものでなくてはならないだろう。







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