武蔵VS刃牙  高野山の名宝“八大童子立像”公開



コンビニで雑誌を立ち読みしたら、「チャンピオン」で刃牙宮本武蔵とバトルしてました…どうなることやら。


板垣恵介氏はリスペクトすべき漫画家である。


武蔵の復活のところで変な霊媒のおばあちゃんがでてきたりするのだが、後からよくよく考えるとやはりあのシーンは必要だと思った。


板垣氏の作品を読むと、一見荒唐無稽ながら、その場面が無かったとしたら大きな空虚が生まれる…というエピソードが沢山ある。やはりこの漫画家は只者ではない…


常に意外性とリアルさを追求し続ける巨匠の軌跡をこれからも見守らせていただきたい。






雑誌では相変わらず『京都』『仏像』『寺院』などの特集が多い。


誌名は忘れたが国宝・重文を扱った雑誌で高野山の運慶作八大童子が一堂に公開されるという記事が載っていた。


運慶のことを「神の手」と表現してあったが


仏師を「神の手」ってどうなのよ…


やっぱり違和感のある表現である。




関西ではあべのハルカス美術館で公開とのこと。


【関連記事】http://www.aham.jp/exhibition/future/kouyasan/


八大童子は運慶の代表作ともいえる名像だが、記事の中に童子のモデルが作像の願主の稚児ではないかとかかれてあり興味深い。



おそらく江戸時代頃までは寺院には稚児という少年僧が居り、仏教文化の中ですくなからぬ役割を果たしていたようだ。



あべのハルカスも行ってみたいしこの展覧会にはおおいに惹かれる。



日本の仏像文化は世界の仏教文化の中でも傑出した位置を占めている。


仏教が盛行した理由のひとつはやはり仏像というビジュアルで立体的な文化があったからだと感じている。


信仰の多くは擬人化された存在への帰依である。



しかし信仰の本質には擬人化を超えた部分が存在するのも事実ではないだろうか。



信仰のひとつの過程として擬人化された神仏を越えることが必要なのだと思う。


一方で人間的な情愛や畏怖は決して失ってはならないとも感じる。



そして情緒や情愛もとことん極め尽くせば理の世界に通じるではないかと思うのだが。





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