柿の実の智慧 お風呂場の戦い 第三の眼


深々と冷えを感じるこの頃である。



今年は柿が豊作である。



「たわわ」というのは枝がたわむくらいということなのだろうが、良く実った柿の木は本当に枝がしなっている。



それでも自然というのは上手くしたもので、柿の木というのは折れやすい木であるにもかかわらず、豊作だからといって枝が折れたという話を聞かない。



植物なりにきちんと枝が耐えられる重さを見切っているのだろうか。上手くしたものだと感心してしまう。






背丈ほどの樹高の低い柿の木はもうすっかり落葉しているものも多い。




葉の落ちた木に赤く熟れた柿の実が3つ、4つと残っているのは風情のある光景である。







庫裏の浴室は昔ながらのタイル張りで寒くなると足元から冷えるのでバスマットを購入。





たった一枚のバスマットだがこれが意外に温かい。もっと早く買えばよかったと後悔…




よくあることだが子供を肩まで湯船に浸からせるというのはなかなか難しいものがある。



それどころか子供は洗い場で体が冷え切るまで遊んでいたりするので、親としては




「肩までつかって20数えます!」と強権発動をせざるをえない。





「い〜〜〜〜〜〜〜ち、に〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜い、さ〜〜〜〜〜あ〜〜〜〜〜〜ん〜〜〜〜」



「お父さん数え方が違う!長すぎる!」



「いや、これでいいのだ!」



「…は〜〜〜〜〜ち。は〜〜〜〜〜ち」



「今、2回数えた!」



「えっ?そうか?は〜〜〜〜〜〜〜〜〜ち。きゅ〜〜〜〜〜〜〜〜う…」



時そば」みたいになってます…










在日インド人の方のブログを読んでいたら「ビンディ」の記事が載っていた。
インドの女性は額に赤い印を着けているがこれは「ビンディ」とよばれる。



随分前に生物に第三の眼がある…というブログを書いたが、ビンディというのは第三の眼と関係があるのではないか…と感じた。




【第三の眼を開く】http://d.hatena.ne.jp/burogubou/20120525







ビンディはかっては赤い粉をつけていたが今は簡略化されてシールをつけるものが多いそうだ。



ビンディは本来は神聖な印なのだが最近はフアッション化しつつあり、「勝負下着」ならぬ「勝負ビンディ」みたいなものまであるのだとか(笑)



眉間の上、額の部分が聖なる場所であるというのはインドでは広く認識されている。




東洋医学ではツボという不可視の存在があるが、インドの宗教では体の正中線上に7つのチャクラというセンターがあるとされる。




ビンディの位置は第六番目のチャクラの位置にあたる。










このことは仏像にある白毫とも関係すると考えて間違いないだろう。




仏像では白毫ではなく第三の眼が額にある場合もある。



人間の永遠の探求―パラマハンサ・ヨガナンダ講話集

人間の永遠の探求―パラマハンサ・ヨガナンダ講話集




パラマハンサ・ヨガンダの講演集「人間の永遠の探求」を読んでいたら古くからの瞑想の方法としてこの部分に意識を集中することインドの修行法として紹介されていた。




ヨガナンダはこの額の部分の呼び名が聖典によって様々であるとして“一つの目”“第三の目”“東方の星”“内なる目”“天より舞い降りる鳩”“直覚の目”などの名称をあげている。




「もし、あなたの目がひとつならば(あなたの霊眼が見えたならば)、あなたの全身は光り輝いて見えるだろう」(「マタイによる福音書」6・22)



眉間は霊眼であり、精神集中の場であると同時に、そこに心を向けることで様々な直感を得ることができるとされる。





この部分が第三の眼として表現されるというのは通常の視覚を越えた直覚を得るというこなのだと勝手に解釈している。




瞑想する時にこの部分に意識を集中してみると独特の感覚が生まれることがあって興味深いものがある。



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