紅葉と竹灯かりのとばり ひといろひといろ 祈りの力







昨日はくもり。一時雨が降る。




紅葉もいよいよ終盤へ。





丹波の紅葉名所に行かれた方から彼の地はもう落葉期だったとうかがった。
今年は紅葉のペースが随分と早い。








色づいていく木の葉の色は一葉一様ごとに異なる。
一片の葉ですらいろんな色を含んでいるものも多い。





その面白さ、不思議さ、奥ゆかしさ…




自然の奥行きの深さに心をひかれずにはいられない。











昨夕から鹿原公園にて『紅葉と竹灯かりのとばり』がスタート。






主催者が代わって4年ぶりの夜間イベントである。





期日は23日まで。夜間の点灯は17時から20時までである。




22日、23日は昼間のイベントも企画されているとのこと。







対本宗訓(つしもとそうくん)氏は天竜寺僧堂にて修行され臨済宗仏通寺派管長に就任。


その後帝京大学医学部に入学され“僧医”として活動されている。







祈ることは力になるのか…大変に重いテーマである。










ところで私は<拝む>ことも<祈る>ことも根本はおなじではないかと思う。





しかし、<拝む>という言葉(行為)はどこか“お願いする”という現世利益に染まりつつある気がする。それは残念なことである。





この世に生きる以上、この世での願いをもつことは必然であり、自然である。




だが現世のことを願うだけでいいのだろうか。




病気を治してほしい、お金持ちになりたい、出世したい…





宗教には現世を越えた価値観や世界を指し示すことが求められているのではないだろうか。





祈ることで病気が治ったとしよう。




治ったことを以ってその祈りは肯定されるのだろうか。




あるいは祈っても病気が治らなかった場合、その祈りは価値がないのだろうか。






本書には『人が生み出す<癒し>のエネルギー』というサブタイトルが付けられている。





祈りやメディテーションと治癒の関係についていろいろな角度から述べられている。






祈りには様々な様態がある。





あまり適切でないかもしれないが、ある種の狂信的な“祈り”によって特別なことがおきたり、病気が治ったりすることもある。祈りとのその力(結果)は様々である。





そして著著者が宗教という立場から人の癒しについて考察をかさねられ医師に転じられたということは賞賛にあたいするのではなだろうか。




祈りには<委ねる>という要素が必要であると思う。




その一方で治癒を願うというのはある一定の方向(結果)に心を集中することであり、実は大きな矛盾を抱えているといえなくもない。




それにしてもイギリスではヒーリングとよばれる治療行為が保険制度の中でも認められているというのは日本との精神的、社会的土壌の違いを感じる。




宗教と医学の親和した力によって人がその心身を癒す時代がくるのだろうか。
そのことを切に願っている。





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