ちはやぶる和歌の妄想 ピースとハイライト

 




千早(ちはや)ぶる 神代(かみよ)もきかず 竜田川(たつたがは)
                   からくれなゐに 水くくるとは


                      


  『さまざまな不思議なことが起こっていたという神代の昔でさえ
 も、こんなことは聞いたことがない。竜田川が(一面に紅葉が浮
 いて)真っ赤な紅色に、水をしぼり染めにしているとは。』
 





神道の逆襲 (講談社現代新書)

神道の逆襲 (講談社現代新書)



パラ読み中の「神道の逆襲」に「龍田風神祭」祝詞(「延喜式」所収)について書かれてあった。




竜田川の歌は風と関係があるのか…と気がついたところからいつもの妄想ワールドへ。









百人一首にある藤原業平の「ちはやぶる」は竜田川のもみじについて詠まれた歌だが風の神がキーワードではないか…と気になったのだ。




崇人神天皇の時代に農作物が生育しないという凶事があり、いかなる神の御心かと問うたところ「悪い風、荒い水の災いによって作物の損なうのは天御柱命国御柱命である」とのお告げがあり以後、龍田神社の風神祭は古代にあっては非常に重要な国家的行事のひとつとなり現在も継続して行われている。






龍田神社の脇を流れるのが大和川でその支流が竜田川だが、どうも昔は大和川のことを竜田川とよんだ可能性もあるらしい。





【地図】http://www3.pref.nara.jp/miryoku/aruku/secure/1927/map.pdf







竜田川は紅葉の名所であったらしく、この歌は竜田川の美しい紅葉を詠んだ歌とされるのが一般的な解釈である。





それにしても川面全体が紅葉で染まる…などということはあるのだろうか?…とは誰しも思うところ。








東京の神田川の両岸には桜が植えられていて、桜の散る頃には川面を覆うほどの桜の花びらが流れる。その光景を初めて見たときはちょっとびっくりした。






川全体を紅葉が覆う…というのはあながちフィクションともいいきれないが、どうやらこの歌は実際の風景ではなく、屏風に書かれた竜田川の紅葉に添えられた歌であったらしい。それなら納得がいく。








川面が紅葉でうまるということについては、「もみじの本数が多かった」とか、「もみじが川岸に植えられていた」というような解釈もあるようなのだが、もみじがで川面がうまるほど強い風が吹くという意味にとることができると思うのである。





さらに…





現在でも「風立ちぬ」という言葉が残っているように




<風>と<立つ>は連想される関係にある。




この<立つ>は龍田神社竜田川の<龍>にもかかってくるのではないだろうか。





そして霊獣としての<龍>もまた雲を呼び、風を起こすとされる存在である。





竜田の祭神が風神であること、言葉の音の類似や連想など和歌のなかで言葉が幾重にも干渉しあっている気がする。










枕詞の「千早ぶる」は「神」に連なる枕詞とされるのだが






案外、この詞も<強い風>と関係があるのではないだろうか?






強引な解釈かもしれないが旗などが強い風にひらめいてハタハタ、バタバタと動くというのは「千早ふる」といえなくないだろうか。








いっそのこと「神代」という言葉も「古代の神々」という意味のほかに「崇神天皇の御世」という意味に解釈したらよいのではないだろうか。







和歌の言葉というのはひとつの言葉やフレーズが幾通りにも解釈できるのである。




すると「千早ぶる神代」とは「さまざまな不思議なことが起こっていたという神代の昔」という意味の背後に「崇神天応の時代に強い風が吹き荒れた」という史実を表すことにもなるだろう。






気になる点はまだいくつかある。







「神代もきかず」「韓紅に水くくる」…この歌にはか行の音が多く用いられているのも特徴ではないだろうか。これは<風>と関係があるのか…




また「もみじ」という言葉の語源は「(染料などを)揉みだす」ことと関係があったようである。




この歌には「もみじ」という言葉は出てこないが、「くくる」(くくり染め)とは<染料つながり>になるのではないだろうか。





竜田川 歌」で検索してみて、百人一首にはもうひとつ竜田川の歌があることに気がついた。





嵐吹く三室の山のもみぢ葉は竜田の川の錦なりけり  能因法師






これも竜田川の紅葉を歌ったものなので竜田川の紅葉というのは当時から非常に有名だったのだろう。





だがよく読むと「嵐吹く」とやはり<強い風>がでてきているではないか…






これは偶然だろうか…俄然面白くなってきたがこれ以上踏み込んで調べる術がないのが残念である。





和歌がひとすじなわではいかないのは実にいろんな仕掛けがほどこされていて、単なる情景や心情の描写にとどまらないことである。






日本には膨大な和歌が残されているが作品に込められた作者の本位、技巧、意図、遊びなどが分からなくなっているものが多いのではないだろうか。










それらを考えることは暗号やパズルを解くような面白さがある。





その一端が垣間見えたようで興味深かった。







言葉の遊びといえば紅白に31年ぶりで出場したサザンの歌った「ピースとハイライト」が少し火がついている。タバコだけに…(笑)





平和についての歌であるが、




『ピース(平和)とハイライト(右翼)』





という意味があるのだという。






中継の最初で桑田氏がチョビヒゲをつけていたが、これもヒットラーの意味だとか…(笑)





ざっくり言うと安倍さんの一連の施策に対する批判を独裁者になぞらえて風刺しているという。




確かに歌詞のなかにも「裸の王様」というのがでてくる。








言葉の遊びといってしまえばそれまでだが和歌の複雑な言語技法にくられべれば随分と分かりやすい。





むしろ私が気になるのは、同じライブのなかで桑田氏がズボンのお尻のポケットから無造作に天皇陛下に頂いた紫綬褒章の勲章をだしてみせたというくだりでこちらは事実ならやはり不敬にあたると思う。




国営放送の看板番組に特別ゲストで出ておいて、政権批判はあまりかっこよくない。
紅白の裏なら大義名分がたつだろう。









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