何事のおはしますをば知らねども 黄金の茶室

 



何事のおはしますをば知らねども
      かたじけなさに涙こぼる  西行







出先で大きな神社に参拝した。




壮麗な拝殿に感動し、簡単にお参りして帰ろうとすると拝殿の扉が開いて大勢の方が入っていかれた。お寺の本堂なら内陣にあたるところまで入れるのは有り難いと一緒に入れていただく。




大祓詞」と「感謝詞」(正式な名称不明)が配られた。



大祓詞http://www.geocities.jp/sizen_junnosuke/ooharahinnokotoba.html





大祓詞」は素晴らしいと思う。言霊と言っていいのではないだろうか。家でも時々唱えていたのだが、1人の神官の方が良く通る御声で唱えられるのに合わせて一緒にお唱えする。






清浄なる空気が身体に満ちてくるような素晴らしい時間である。







一緒に唱えた「感謝の詞」(正確な名称は不明)も素晴らしかった。




家族、親族、同胞共に在り、衣食住足りることの幸せを感じることができた。












気がつくと拝殿の中には100人近い参拝者がおられた。






神官の方は10人近くおられたであろうか、地方から参拝にこられたこの団体を迎え入れる儀式のようであった。




上席の神官らしい方が上段に上がって祝詞をとなえられるのだがその荘重なこと…実に実に麗しい。





西行伊勢神宮にお参りしたときの歌「何事のおはしますをば知らねどもかたじけなさに涙こぼる」を思い出す。




神道について何を知っているというわけではないのだが、やはり素晴らしいものだと思わずにはいられなかった。








神官の方が参拝者に対してお祓いをされる。






頭を垂れているとスーッと心のなかに温かな光るものがはいってくるのが感じられた。






2人の若い巫女さんが鈴を鳴らされるのだが、清めていただいているという感覚が益々強くなる。





最期には籤があって一等の方には豪華な?授与品が渡された。






神官の方の講話もあった。
お寺なら法話だが、神官のお話は何と呼べばよいのだろうか。




よく通る実に良いお声である。





さきほど祝詞を奏上された方らしかった。、




偶然ながら神事に参列させて頂きただただ有り難かった。





侘び然び幽玄のこころ─西洋哲学を超える上位意識

侘び然び幽玄のこころ─西洋哲学を超える上位意識





「詫び然び幽玄のこころ」を読みながら長旅を続けていたせいで妄想がとまらない。




昨日の続きを少々…







秀吉は金の茶室を作らせたという。





壁、天井、柱、障子の腰を全て金張りにし、畳表は猩々緋、縁は萌黄地金襴、障子には紋紗が張られていたという。MOA美術館には再現された黄金の茶室があるそうなので一度見てみたいものだ。






そもそもこの時代にあって茶道とはどんな役割をしたのだろうか。





高価な茶器は一国の価値に値するものもあったという。




松長久秀は信長に名器の茶釜“平蜘蛛釜”を譲れば裏切りを許すといわれながらもそれを拒絶し壮絶な死を遂げたという。そこまでくると現代の我々の理解を絶しているではないだろうか。




へうげもの(19) (モーニング KC)

へうげもの(19) (モーニング KC)




茶器が高価になったのも全国が平定されて国を恩賞にすることができなくなり、その代償として故意に価値が昂騰したのだという説を聞いたことがある。なかなか尤もらしい話ではある。






一室に集まって茶を服することが実は特別な密談の場にもなったという。







永田町の人が料亭へ行くようなものか(笑)






現代の上品で穏当な茶道だけを見ていると理解できないことはたくさんある。






秀吉の黄金の茶室は<成りあがり者の悪趣味>…と理解されるが本当にそうだろうか?






秀吉はおそらくあばら家のような貧家で生まれ、辛酸と苦労を味わいつくして生きてきた。






そんな秀吉なら何もないあばら家のような簡素な空間で茶を飲むと案外、落ち着きや安堵を覚えるのではないか。








秀吉は自己の権力のプレゼンテーションとして黄金の茶室をつくりながら、人間としての秀吉は案外、質素な茶室を好んだかもしれない。





あるいは利休の茶の湯が簡素を追求すればするほど真逆の方向性を目指したのかもしれない。




それに対する対抗心として黄金に茶室が生まれたとしたらどうだろうか。





利休と秀吉の間には単なる主従関係だけではない、強い確執や緊張感のようなものを感じるのである。利休が信長に使えていた頃、秀吉は遥かに身分の低い立場だった。





利休には秀吉の権力と富への嫉妬や対抗心や意地が無かっただろうか。




利休という人物は単に茶道という芸道だけを求めて生きた人物のには思えない。






底意地の悪い想像をしてみた。







利休の簡素な茶道とは秀吉に対する挑戦だったのではないだろうか。




富や権力を増すことはできても減ずることはできないと。







無数の朝顔が刈り取られ、ただ一輪の朝顔がいけてあったというエピソードも単に利休の美学の表れととらえているがこれが秀吉を否定するメッセージあったとしたらどうであろうか。




刈られた豪奢な朝顔の群れとは秀吉であり、茶室に活けられていた一輪の朝顔とは利休そのものを象徴するとしたらどうだろうか。これは秀吉への痛烈な批判ではないだろうか。






私が小説家なら朝顔の一件から秀吉は利休に殺意を抱く…としたいところである(笑)




まだまだ妄想が止まらない…



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