世界の終わりに

   







土曜の朝、“神社”に向かう途中コンビニに寄った。





店内に“SWKAI NO OWARI”の「ドラゴンナイト」が流れていた。






メロディーは嫌いではないのに聴いていると心がヒリヒリする。








EDM?…私の世代はYMOの洗礼を受けテクノ系の音楽に違和感は無いはずなのに、何かひっかかる、









そのつながりでいうと車にAKBの「恋チュン」のCDが積んであってしばらく繰り返し聞いていたが、ある時、無機的な音が入っている気がつくと、耳がその音だけを拾い始めて以前のように楽しく聞けなくなった。








音楽にそれほど興味が無いので適切な言葉がみつからないのだが最近の音楽には何か“違和感”を感じる瞬間がある。







先日、さだまさしの「案山子」を聴いたら「重い」という感想が湧いてきて自分でも少し驚いた。違和感を感じていたはずの音楽にいつの間にか心も身体も馴染んでいた気がしたからだ。





ひとつの流れがあって、誰もが知らず知らずにその方向に歩いている。






嬉々としてその方向に走りだす者、そんなことは意識していない者、自分では意識してそれに抗していると思っている人間も気がつけば誰もが同じ方向に進んでいる…そんな光景だろうか。






それは当たり前のことなのかもしれない。





あるいはとても危険なことなのか、それとも取るに足りないささいなできごとなのか。






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