夏の思い出
炎暑続く。
何年かごとにこうした猛暑に見舞われるが、体力も気力も削がれるようである。
夕方少し曇りになったので久しぶりに駐車場の廻りの草刈をする。
草刈をしながらよくみると植樹された木々の枝が鹿の食害で折れているのが眼についた。
鹿の食害はとどまるところがないがこの問題に出口はあるのだろうか。
昨日は娘を千歳にあるコミュニテイセンターのプールへ連れて行く。
ここのプールは深さも90センチほどで子供を遊ばせるには調度良い。
そして何よりここは子供は無料で保護者も1名まで無料。
無料の力は大きいのである(笑)
【うかうかしてプールに浮き輪を忘れて帰ってきてしまった。知り合いが届けてくれたので助かった。】
娘に一昨日の夏祭りの感想を尋ねたら「最期の花火が嫌だった」と言う。
理由を聞くと「花火が終ると全部終ってしまうから」という。
子供なりに楽しみの終ることが寂しいという感覚があるのだろう。
一種の無常感といえるかもしれない。
娘と話していたら子供の頃のことを少し思いだした。
昔は夏になると家族で民宿に泊まって海水浴を楽しむことが多かった。
今よりも遥かに外泊する機会が無かったので、
海水浴×民宿
というのは子供にとって夏のスペシャルイベントだった観がある。
とにかく楽しかった…
大抵は2泊3日だった記憶があるが、最後の日の昼はカレーやチャーハンなどの軽食が出る。
これを食べると「もう帰らなければ」と少ししんみりした記憶がある。
由良、舞鶴、高浜などかっては沢山の民宿が繁盛したが、時代の流れか随分と寂れているようである。
そのことにも一抹の寂しさを覚える。
今の子供達は何を楽しみにしているのだろうか。
今の子供達は眼のくらむような豊かさの反面、無心に心から愉しむという機会が減っているような気がする。
そんな子供達が大人になったときにどんな社会になるのだろうか…と少し不安になる。
目的や結果ではなくただ楽しいということを追求し満足する時間はとても大切だと思うのだ。
その時間こそが人生への信頼、人生を逞しく生き抜いていく力、生きてゆくことを根底で支える力になると思うのだが。
一生の楽しきころのソーダ水 富安風生
【我々の世代の名曲。夏の朝に聞きたい。】
【暑気払いはガンダムで。敵方もキチンと描いているのがエラい。エンディングも名曲なり。】
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