自彊術 超スゲェ楽になれるお経

 




最近、すっかり健康(運動)オタクが板につき?毎日のように書籍や動画でいろんな運動を試している。




最近考えているのは体の一部に痛みやコリがあってなかなか治らない場合、その部分にアプローチすることももちろん必要だが、全身的なアプローチをすることで改善することがあるのではないか…というもの。というわけで最近は全身を使った健康体操の類をいろいろ調べている。





昨日は自彊術の動画を見つけた。




自彊術というのは大正時代に天才的な治療家であった中井房五郎によって考案された健康体操である。




健康体操というのは星の数ほどあるが、その先がけでもあり、愛好者は一時期300万人もいたといわれる。





自彊術は31の動作からなり15分ほどで全部の動作を実習できる。







掛け声の掛け方がいかにも昔の体操という印象を受けるが、よく考えられていると思う。





オススメは第5動という5番目の体操である。




肩や背中のコリがよくほぐれて気持ちいい。お時間のある方はお試しを。



【第5動は13分頃から】





超スゲェ楽になれる方法を知りたいか?
誰でも幸せに生きる方法のヒントだ
もっと力を抜いて楽になるんだ。
苦しみも辛さも全てはいい加減な幻さ、安心しろよ。




「般若心経」について調べていたらネットでみつけた「般若心経」の現代語訳であるが、これはアリなのか…???





「般若心経」は300文字に満たないが、難解であるだけでなく、仏教にとってとても重要な内容を含んでいる。






お経というのは誰かが誰かに教説を説くという形式をとる場合が多い。





平たく言えばお説法である。




観自在菩薩が舎利子というお釈迦様の弟子に教えを説くのが「般若心経」なのである。




観自在菩薩(語り手)→舎利子(聞き手)




観自在菩薩という素晴らしい存在が、(タダでさえすばらしい存在であるのに)
波羅蜜多”という境地に至ったときに悟った内容が<全ては空である>という教えである。




全ては空である(「五蘊皆空」「色即是空」)とは悟りの内容なので私達凡人には分かるはずはない…といってしまえばそれまで。



観自在菩薩が“波羅蜜多”をしたというのは分かりやすくいうなら深い深い瞑想を行じたということであると思っている。




仏教を信じ、仏教を開かれたお釈迦様を敬うなら私達はお釈迦様に少しでも近づく努力をしなくてはならない。




お釈迦様は数々の修行を経て最期に瞑想という方法によって悟りを開かれた。





ならば私達も少しでもそこに近づくべく努力をすべきではないだろうか。




心を沈めて座る、瞑想ということを少しでも行ずべきではないか。









私達の心は常にいろいろなものにとらわれている。




眼に見えるもの、耳に聞えるもの、香り、手触り、欲求、怒り、悲しみ…




それらを離れ心を内側に向けるということ。





それが瞑想の第一歩である。







心を動かさずに座り、瞑想するというのは普段私達がとらわれているもろもろのものから離れるという姿でもある。




多分その先に「超スゲェ楽になれる道」があるのではないかと思う。




よくお経を聞くと眠たくなるという方があるが、実はお経を読む(聞く)というのは瞑想に等しい意味を持っていると思う。





「般若心経」というお経は瞑想によって得られた悟りを説いているが、「般若心経」を読み、聞くということはそれ自体が瞑想を行じるという意味にもなるのである。





お経というのは本当に奥が深いと思うし、その深さに少しでも近づきたいものである。




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