お不動様の日の伝わらない法話

 



本日28日はお不動様の縁日につき不動講のお勤め。




毎回、お勤めの前に5分〜10分くらい話をするのだが、今朝は堀北真希さんと山口耕史氏の件。




山口耕史氏が掘北氏の移動を知り勘で新幹線のチケットを買ったら、堀北氏がその新幹線に乗っていたのでプロポーズし成功した…



このプロポーズを芸能レポーターが“奇跡”と騒いでいたが、




事実とするならこれはもう念力なのではないか…と




山口氏は掘北氏を6年間も思い続けていたという。




強く、念じ、思い続けると往々にしてそのことは成就する。




「こうなったらいいな」くらいに漠然と願うことは誰でもできるが、執拗に、根気よく、リアルに念じ、思うこはなかなか出来ない。だがそれを続けているとそのことは実現する可能性が非常に高いのである。



歴史上の「ありえないはずのことが実現したこと」の背後には個人(集団)による念力というものが作用していた可能性があったのではないかと感じる。




思うことが叶うというのは一見素晴らしいことのようだが、




「あいつが憎い」と念じて(呪って)いると相手が病気になったり、事故に遭ったりするのもまた念力である。




「人を呪わば穴二つ」と言われるように、相手に向けた憎悪などのネガティブな感情は必ず自分にも帰ってくる。




自分の念力(自分自身の思いの力)で傷ついている人というのは随分と多いように感じる。




念力を得たい、念力で願いを叶えたいと思うより、自分が何を願っているかという方向性を知ることは大事ではないだろうか。




『好き嫌い』『利害得失』『わがまま』『欲望』などなど…




それらを反省することなく、自分の心を磨かずして願望が実現する力だけを手に入れるのは大変に危険である。






非常に多くの宗教団体や霊能力者などがこの念力をもって自らを喧伝し、多くの人々がそれに惹かれているのが実体である。



『あの教団に入ったら願いがかなった!すごい!』と…



ご利益、あるいは利益(りえき)をひたすら追求する宗教というのは危険である。




正しく考える、正しい行動を選択する、正しい言葉を使う…




お釈迦様の説かれた八正道はシンプルだが実に奥が深い。




当たり前の努力の先にしか本当の幸福は来ない





…みたいなことを話したつもりだったのだが



本堂でお勤めを終えて庫裏でお茶を飲んでいた信者さんが



「住職さんは掘北真希のファンらしい」



と話していたとか。





ぜ、全然伝わってない?(苦笑)



やっぱりもっと念をこめて話をしたほうがいいのか…




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