門外漢 二百十日


老僧は毎日のように本を読んでいるが、外来語には滅法弱い。



先日も…




『“アウトドア”というのは家から追い出されることだ』





と自信ありげに説明していた…














先日、気がついて少し驚いたのだが、兼務寺院のある大浦地区の村は舞鶴市内でも最も人口の少ない村になっていた。




老僧が子供の頃は20軒あまりの家々があったらしいが、随分と寂しくなったものである。




本日は朝8時からお寺の本堂に村の方々が集まってお勤めをされた。





二百十日前後は天候が荒れやすいので災害にならないように二百十日の前に祈念することが慣わしになったらしい。





昨日、所用があって京都に出かけたが、夕方、長距離バスに乗ろうとしたら猛烈な夕立になった。



二百十日の前後というのは統計的に天候が荒れやすいとされる。




昔の人々は経験的にことのことを知っていたのだろう。




天候が荒れないように二百十日前後に行われるのが奈良県大和神社の「風鎮祭」や富山県富山市の「おわら風の盆」である。





江戸時代頃から暦に二百十日が書き入れられるようになり、それにともなって存国各地で様々な祈念が行われていたらしい。




先日、富山に旅行に行かれた方から富山の「おわら風の盆」は素敵なお祭りなので一度見に行かれたらよいですよ…と勧めていただいたばかりなのだが、兼務寺院の本堂で毎年ささやかにお勤めしている祈念と、全国的にも有名な「おわら風の盆」が同じ起源のものであるとは気がつかなかった。




「五風十雨」という言葉があるが,五日ごとに風が吹き、十日ごとに雨が降るような気候が穏やかで平穏無事であるとされたことに由来するらしい。




太陽だけでなく、雨も風も人間には必要なものだが人間の望むようにほどほどにはなかなかならないものである



とりわけ昨今の気候は昔にくらべて随分と極端な印象を受けるが、そのことは何かを意味しているのだろうか。







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