お釈迦様の微笑み

 




曇り時々雨。



強い夕立有り。西舞鶴の駅前は30センチの深さに水がついたという。




稲刈りが始まっているので天候不順だと苦労が偲ばれる。




雨が上がると綺麗な夕焼けが見られた。







佐野氏の五輪エンブレムが使用中止へ。





デジタル社会ではコピペが横溢するのは自明だが佐野氏については五輪のエンブレムだけでなく疑惑百出というのはいくらなんでもあんまりだ。





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夜になると秋の虫の声が聞える。




間断なく無く鳴き続ける虫の声を聞いていると心が静まってくると同時に、何か寂しい、悲しい気持ちにひたされるようである。









世尊在霊山会上。拈華示衆。衆皆黙然。唯迦葉破顔微笑。世尊云。吾有正法眼蔵、涅槃妙心、実相無相、微妙法門、不立文字、教外別伝。付属摩訶迦葉





習字の練習に「拈華微笑」という文字を書いているが、味わい深い言葉だと思う。



霊鷲山釈尊が黙って華を拈(ひね)ったところ居並ぶ弟子を始めとする多くの人々はその意味を理解することができなかったが、迦葉尊者だけがその意味を理解して破顔微笑したため、釈尊は迦葉に法門を伝えたという。





「拈華微笑」の微笑は迦葉尊者の微笑みだが、きっとその時にはお釈迦様も微笑まれたに違いない。そんな情景を想像してみるのは楽しいものである。




このエピソードは必ずしも史実ではないらしいが、華を通じて法門が継承されるというのは素敵な話だと思う。




ちなみに…



写真で見る霊鷲山はゴツゴツした岩山でとても蓮など生えていそうにない(笑)



もっとも昔のインドのお寺は四角い池が作られることが多く、階段が付いていて、水浴する場にもなっていたそうだ。昔の霊鷲山にもそのような池が作られたのかもしれない。






法華経」もこの霊鷲山で説かれたことになっていて蓮が出てくるというのはそのことと関係あるのかもしれない。



法華経〈上〉 (岩波文庫)

法華経〈上〉 (岩波文庫)




霊鷲山は長い間、その場所が分からなくなっていたが明治36年(1903)に浄土真宗本願寺派第22世法主であった大谷光瑞が再発見し、国際的に認知されるようになったという。



日本人が霊鷲山を再発見したというのは長く伝えるに相応しい偉業だろう。





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