棟梁からのプレゼント ネット際の攻防 書と文字は面白い
老僧の古い友人である棟梁から建築材の端材を貰うことになったので、老僧と1トントラックに乗って福井にある棟梁の自宅へ。
広い駐車場の一角にブルーシートを被せられた端材が大きな山に積んであった。
端材はかなりの量らしく老僧と2人でいくら積んでもなくならない。
いい加減なところで見切りをつけて帰ってきたが、当分、風呂焚きの薪には困らないだろう。
庫裏の前にある栗の樹が実りを迎えたが、老僧によれば鹿が毎晩やってきて地面に落ちた栗の実を食べてしまうという。
こういう状況になると老僧は俄然、燃える…いつの間にか大きなネットを張り始めた。
その労力を他のことに使ってほしい…
ネットは両側がガラ空きなのであまり意味はないように思うが、面白いので黙っていた。
- 作者: 石川九楊
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1996/07
- メディア: 文庫
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ブックオフオンラインで買った石川九楊「書と文字は面白い」が面白い。
書と文字に関するエッセイ集だがテーマは多岐にわたる。項目は実に130余り。
著者が常に書と文字についてあらゆる角度から考え、実践されているのが伝わってくる。
判決後に示される「無罪」の文字が隷書という硬派な楷書なら落ち着きがいいが、行書や草書では様にならない…なるほど!(笑)
文字というのは何かを伝えるためのものである。
ところが書道にあっては文字それ自体の美しさや価値が追求される。
「それ自体」というのは案外大切なキーワードではないだろうか。
ある名優がレストランに招かれた時、素晴らしい美声と抑揚で朗読を始めた。
朗読が終って、感激した1人の婦人が「それはなんという作品ですか?」と尋ねると
俳優は「これはこの店のメニューですよ」と答えた…
例えば詩というのは言葉それ自体に価値をおくべきだと思う。
何度も書いているが産経紙1面に載っている「朝の詩」は詩としては認めがたいものがたくさんある。
詩でありながら何を伝えるかというメッセージ性に意識をおいた作品が大半だからである。
小説の価値はストーリーなのだろうか?言葉の選択、描写なのだろうか。
志賀直哉の作品を読むと、ストーリーではなく描写それ自体に決定的に価値があるように感じる。
これはこれですごいと思う。たいしたストーリーが無くても作品として成立してしまうのだから。
余談少々。
舞鶴は「赤れんが」で町おこしをしているらしいのだが、この度、東京の有名デザイナーに依頼して重要文化財の赤れんが倉庫群をイメージしたロゴマークが完成した。
ところがロゴマークには「赤レンガ」と表記されているのである。
これまで「赤れんが」という表記で一貫性を持たせているのだから「赤れんが」を表現するロゴマークには「赤れんが」と表記するのが妥当だと思う。
百歩譲ってローマ字表記や英語表記ならまだ可能だと思うが、なぜカタカナで「赤レンガ」と書くのかは全く必然性が感じられない。
市の担当者も製作した“一流デザイナー”も言葉や文字について何も考えていないのだろうか…と少しがっかりした。
ちなみに舞鶴市のキャッチフレーズは「赤れんがと潮風が、出会うまち。」。
短い文章に句点いれるなよ…と石川九楊氏なら言うのではないだろうか。
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