駐車場 曼荼羅成す山々 青葉山にて 


夜遅くに山寺に帰ってきたら鹿が2頭、駐車場で戯れていた。




車を近づけると鹿は慌てて逃げていったが、ふと横を見ると丸々太った猪が同じように慌てて山のほうへ走っていくのが見えた。





駐車場がナイトサファリ状態に…








彼岸花が盛りをすぎ花が白く色褪せ始めている。




彼岸花 母さんと呼ぶ温かさ   鮫島芳子




行く道に花の咲かない道はなく

行く道に花の咲かない道はなく






【白山室堂より見た夕陽】



山に登拝した際に御来迎を見ることはできなかったが、宿泊した室堂ビジターセンターで見た夕陽の美しさはとても印象に残っている。





白山近辺の地図を見ると富山県の大日岳が記載されているが、白山同様信仰の山であるという。




大日岳という名称から連想されるのは大日如来への信仰である。




大日如来は太陽神の性格を備えている。




御来迎の大光明のなかに大日如来を感得した人々が多かったのかもしれない。




登山がレジャーになって久しいが、往時の人々にとって山に登るというのは多分に宗教的な意味を持っていた。




特別な霊山でなくても多くの寺院が山中に建てられ、墓所が山中に設けられたというのは山が聖性をもった場所であったからだろう。



弘法大師は丹生都比売大神より神領である高野山を借受けて金剛峰寺を建立し、伽藍に丹生都比売大神の御社を建て守護神として祀り、丹生都比売大神は真言密教の総本山高野山の守護神となした。



弘法大師のような高僧であっても、山の神との和合のうちに伽藍を築いたというのは山の神への信仰の深さを物語っているようである。



山に寺院を建立する場合、そこに居られる山の神に礼を尽くして寺院を立て、またそのことにより山への信仰と仏教が混交し一体となっていったはずである。


神仏習合が行われた原因はいくつもあるようだが、そのひとつの条件はこうしたことにも求められるのではないかとさえ思われる。


のみならず山が現世に現れた仏の世界として、立体なす曼荼羅として仏の世界を疑似体験できる場として非常に大きな意味を持っているように思う。



富士山、立山、白山、熊野…当時の人々が今日からは信じられないくらい山に詣でたというのはそこに現世を越える世界を感じていたからだろう。




山に登るというのは仏に会いに行くことであったと言えば言いすぎであろうか。





今日の荒廃した山々や山への畏敬を忘れつつある人々を見て山の神様は何を思われるだろうか。









【白山弥陀ヶ原から臨む雲海】




先日、青葉山に登ったときに印象に残ったできごとがあった。





青葉山に登ると老僧に告げたところ、西峰の祠の屋根を見てきてほしいといわれた。





青葉山は東西2つの峰を持っているが、何十年も前に祠を保護するのにステンレス製の保護材を取り付けたという。




老僧ら数名が急峻な山道を資材を背負って登山し設置したのだというから驚きである。



中腹の松尾寺から約1時間登ると西峰に着いた。
西峰の祠の場所はすぐに分かった。



溶岩石の大きな台座の上に祠があり、祠はステンレス製の屋根と柵で覆われていた。



その祠を見たときに、全く突然に不思議な感動を覚えた。




自分でもまったく予期していなかった感覚なのだが、老僧がこの山の神様(という表現が適切ではないかもしれないが)に護られていたということが感じられたのである。



老僧は長い間、松尾寺に奉職してお手伝いをしていた時期があった。





そのなかで青葉山の神仏と御縁ができたと考えるのは自然だが、そんなことを今まで一度も考えたことがなったのに、西峰の祠を見た途端に、そのようなことが突然に感じられたのはとても不思議な体験だった。




感謝の気持ちを込めて祠にお祈りしたが、山の神への崇敬を忘れてはならない…と改めて感じた。





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