山寺の怪盗 英彦山
紅葉の参拝もピークを過ぎ、また静かな時期がやってこようとしている。
今年は紅葉が不振のせいかお参りが随分と少なかったように感じた。
最近、市内の観光施設の方とお話する機会があったのだが、大型バスの事故がきっかけとなってバスの常務員に関する規制が厳しくなった結果、大型バスを使った観光が大きく減っているという。
当山への参拝についてもその影響が多分に出ているようでなかなか厳しいものがある。
お寺というと大小の問題が山積で住職というのは常にそういったことで頭を一杯にしているようなものである。
最近の困りごとは“賽銭泥棒”である。
境内にいくつかある賽銭箱のひとつを頻繁に開けて中身をさらってゆく輩がいるのである。
それも週に数回という頻度でやってくるので閉口している。
繁忙期はいろいろな雑事に追われていて、毎日賽銭を上げるというようなこともできない。
思い立って賽銭箱を開けると空…という事態がしばしばである。
しかしこの賽銭泥棒はどこから侵入しているかが不明で、ちよっとした怪盗といったところである…
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私達僧侶は“坊さん”と呼ばれることがあるが、「坊」とは僧侶の住居や大寺院の中の小院をさす言葉であったらしい。
昔の大寺のなかには数十という小さな院を擁したものが沢山あったが、往時の大寺がどのように運営され、そこにどのような“坊さん”が居たかということは興味深いものがある。
福岡県と大分県の県境にある英彦山(ひこさん)は羽黒山(山形県)、熊野大峰山(奈良県)と並ぶ日本三大修験山に数えられる修験道の山だが、最近、興味深いニュースが報じられた。
【関連記事】http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151122-00010000-nishinp-sctch
『福岡、大分県境の英彦山(1199メートル)に800軒超の建物跡があることを、福岡県添田町がレーザー測量で確認した。英彦山は江戸時代、「英彦山三千 八百坊」とうたわれるほど栄え、その数字は人口3千人、800坊を意味するとされてきたが、詳細は不明だった。今回の調査で国内最大規模の山伏集落の姿が初めて克明になった。』
それにしても800もの坊があったというのは尋常でない規模である。
英彦山には最盛期に数千の僧兵がいたともいわれ、大名に匹敵する権勢を誇ったが、豊前の領主となった細川忠興の攻勢により衰微したという。1度は訪れてみたい場所である。
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