どう見ても 追悼 般若は菩薩なり
本日もお寺用のカタログが届く。
3カ寺を兼務しているので同じものが3つも届くのには閉口する…
京都の袈裟の会社から届いたカタログを見たら最初のページにお大師様が請来したという有り難い文様を再現した袈裟が載っていた。
しかしどう見ても…
迷彩柄にしか見えなかった…
私は迷彩柄が大好きなのでこんな袈裟もあったら楽しいかもしれないが
値段を見たら…
260万円でした(汗)
先日亡くなった三代目桂春団治師匠の高座を追悼番組で観たが、円熟した語りが素晴らしい。
10余りの持ちネタに絞って精進されたその姿勢も見事というほか無い。
「高尾」で反魂香の中から現れる高尾を演じるときに僅かに開いた扇子を頭のところで揺らし、高尾の簪の飾りを表すのだが、微かに揺される扇子が本当に簪の飾りに見えたのには驚いた。
芸道精進の善哉善哉。合掌
『高尾』
『代書屋』
1月は6件の年中行事があるのだが、本日で全て終了である。
昨日はA地区の祈念と互礼会。
本日はM地区の祈念。
いずれも年頭にあたって地域の健勝を祈念する。
その後、古い大般若経の経文を入れた経箱を持って各家を廻る。
大般若経の呪力によって徐災延命をもたらすという考えは非常に古く、その名残を残す行事として貴重であると思われる。
祈念の後は会食の饗応を受ける。
祈念のような仏事はおそらくこうした饗応や会食によって地域の人々のつながりを深めてきたにちがいない。
私のような新米住職でも大事にもてなしていただけるのは有り難い限りである。
暖冬で大根にスが入ったといった農事の話題から、檀家さんの娘さんの結婚話まで多事済々の話題が和やかなうちに語られる。
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体系的に仏教を学んだことがないので妄想と読書の果実がないまぜになったものが頭のなかをグルグルと駆け巡る。
「般若心経の真実」に書かれてあった『般若波羅蜜多とは女神の名前である』というのがずっと気になっていて、田中公明「曼荼羅イコノロジー」を取り出してみたら
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曼荼羅では仏菩薩が仏教上の教理に当てはめられていると述べてあって
そのことと『般若波羅蜜多』が菩薩(女神)であることは多分つながるでろう…と。
インドでは私達が教理上の概念として捉えているものを具体的な“仏様”と捉えたわけである。
さらに…
インドには本来、男性と女性は不完全なものであり、両者は合一することにより、初めて完全なものになるという思想がありました。いっぽう仏教でも、初期大乗仏典のひとつである『維摩経』に、「菩薩は般若波羅蜜多を母とし、方便を父とする」という有名な言葉が説かれています。インドの言語では般若は女性名詞、方便は男性名詞なので、このように説かれたのです。ところがこの考え方が発展して、般若を女性の仏母、方便を男性の仏に見立て、この両者から曼荼羅を構成する菩薩や明王達が生まれるのだと解釈されるようになったのです。
般若(般若波羅蜜多)が女神であるというのは「般若」の言語上の性が女性であったこととも関係あったという説明には納得である。
インドでは抽象的な概念や教理が具体的な“仏様”となった。
インドのレリーフなどで仏像が交接しているのを観るとギョッとしてしまうが、般若と方便の合一を表現しようとすれば般若(女神)と方便(男神)が交接するという表現はすんなり理解できる。
『「理趣協」は性を大胆に肯定した特異な経典である…』みたいなことがよく語られるが狭い見方に陥るととんでもない誤解を招きかねない。我見に陥らず精進あるのみである。
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