杞憂 かみ合わない「舞廠造機部の昭和史」
家の裏手、勝手口のすぐそばに鹿が出没するようになった。
時に何十分も鳴きながらウロウロしている。
人間はすっかりなめられてます…
夜半に風呂を焚くのに薪をとりに勝手口から出ることがあるが、ガラリと勝手口をあけたとたん雄鹿がたっていて、いきりたった雄鹿の角にかけられる…そんな想像を浮かべながら勝手口をあける。都会の友人にはこんな心配は理解できないにちがいない(苦笑)
実際に鹿が軽自動車に体当たりして大破したという話を聞いたのであながち杞憂でもないのである
数人で電話について話していて…名古屋に友人に
「スアートホン」は「スミャートホン」と発音するのかね?と尋ねたらマジでおこられた。
「おまえ」→「おみゃー」
なら
「スミャートホン」はアリだと思うのだが…
その後私が「ガラケー」は「ガラクタ携帯」の略だと思っていた…とカミングアウトしたら思い切りバカにされた。
さらに…
私が「SIMフリー」のことを話題にしたら、別の友人が…
「霜降り?…」
一同全然、会話がかみ合いませんでした。
- 作者: 岡本孝太郎
- 出版社/メーカー: 文芸社
- 発売日: 2014/05/01
- メディア: 文庫
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もっと地元舞鶴について知りたい…と密林をさまよっていると、
「舞廠造機部の昭和史」という本を見つけたので<ほしいものリスト>へ。
数日前にようやく値段が下がったので購入しようか迷いながら「なか見!検索」を見ると…
造船廠建設中に落盤事故がおこり63人もの尊い生命が失われ、その永代供養のためにお寺が建立された…という記事が眼につき思わず購入。お寺ネタには弱いのである。
届いてみれば500ページ近い大部な内容である。
専門的な記事も多いが興味深いものがある。
末尾近くの以下のような一文があり、舞廠造機部とそこで建造された駆逐艦の役割を分かりやすく述べている。
冒頭でも述べたように、舞廠は小なりといえども駆逐艦の専門工作庁として非常に特色のある工廠であり、特に造機部においてしかりであった。というのは、舞鶴が専門とする駆逐艦は、高速を生命とする艦種だけに、小さな船体に大馬力の機関を搭載していたが、その大出力機関を製造し、その儀装工事を仕事としていたのがほかならぬわが造機部だったからである。ちなみに艦艇の機関重量は、戦艦では扶桑型戦艦で排水量の約10%、巡洋は那智型で約20%に過ぎないのが、駆逐艦では排水量の実に60%前後にも達していたのである。
また、駆逐艦は駆逐隊を編成して敵に主力艦に肉薄攻撃を加える、という使用目的から、同型のものをある一定数揃える必要があったのであったがその点、小型で建造費が安く、建造期間も短くてすむ駆逐艦はそれに向いていたのみならず、この面で駆逐艦はまた、日進月歩の軍事技術の進歩により、艦艇用機関も次々と新型高性能のものが現れるから、これら新型式機関は、短期間で多量にできる駆逐艦にまず搭載し、実績を積んだ上で巡洋艦、戦艦に順次搭載していく、というのがわが国はじめ列強海軍国の常套手段であった。
したがってその駆逐艦を多く手がけ、しかもわが海軍の新型式駆逐艦の第1艦をほとんど全部担当した舞廠、とりわけそこの造機部は、特徴的な部門といえたのである。
駆逐艦について詳述されている“東江戸川工廠”というサイトによれば、 基準排水量2600tの「島風型」は75000馬力の出力と擁し、これは戦艦「大和」の150000馬力の半分であるが、大和の基準排水量が64000tであることを考えると島風型がいかに強力な機関を有していたことが理解できる。舞鶴で建造された数多の駆逐艦のなかでも島風は大変に特異な存在だったことが伺える。
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