敬語的 鹿は益獣になるか?
友人である御住職が見知らぬ方から…
「いつも貴寺にはFaceBoookでお参りさせて頂いております!」
と声をかけられたとか。
『住職のFaceBoookの記事をチェックする』
=『(住職のお寺に)お参りする』
という発想が面白くて笑ってしまった。
否、これは一種の敬語なのだろう。
住職に対して
「いつもFaceBoookの記事を拝見していますよ」というより
「FaceBoookでそちらのお寺にお参りしています」と表現するほうが多分丁寧だと感じられるのではないか…と。
私のなかで4月の風物といえば市内の某神社に園芸の露天がでること。
初老の男性が1人で切り盛りされているのだが、何十年にもわたって4月と9月のひとつきほど舞鶴に滞在して苗木を販売される。
私も随分と苗木を買ったが鹿の食害に遭い殆ど全滅。
これはまことに悔しい…
全く収穫がないわけでなく、昨年買った“長寿桜”という小さな紫の花を付ける植物は鹿の食害に遭わないことが判明したので今年は早速20本ほど苗を買って境内に植えた。
相変わらず鹿の食害が酷い。
【葉は食べられたソテツ、ナンテン、ツツジ…葉がなくなると枯れるの時間の問題である】
なんとかならないものか…と考えているうちに、いっそのこと鹿を捕獲して雑草を食べさせて除草させるのはどうかと思いついた。
ヤギを飼いならして除草ヤギにするという話しをよく聞く。
当所はヤギを購入してつないでおき雑草を食べさせ除草することも考えたが、いっそのこと鹿を捕まえて鹿に雑草を食べさてはどうか?と考えた。
さらに…鹿を捕まえてつないでおけば
「あの寺には危険な住職がいる、行くのはやめておけこう」
みたいに鹿がウチの寺を避けるのではないかという算段も考えられる。
だが一方でうっかり鹿の子供でもつかまえたりすると親鹿が怒って襲ってくる可能性がないこともない。
これは少し心配である。
日が暮れてから勝手口から出たら鹿が待ち伏せしていて、角で一突き…みたいのは嫌である。
小鹿を捕まえて、もし親鹿が遭いにきたらすぐに情にほだされて放免してやるかもしれない。なんとなくそうなりそうな気もする…
もっとも鹿をどう捕まえるかという問題は簡単にクリアできるという前提での話であるが。
【気のいいおじさんがイノシシを飼っているの図】
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