季節のなかで
春は慌しい。
移動、入学、就職、転職、転勤…
身辺でもいくつものニュースを聞いたが、多くは嬉しい知らせである。
妻は子供の入学に向けての準備に余念が無い。
3年通った幼稚園とのお付き合いも先日で終了した。
だが私にはそのことが全然実感できていない。
卒園式の後の謝恩会でも先生方にきちんとご挨拶するべきなのにぼんやりしてしまい中途半端なご挨拶しかできず後悔している。
どうしても幼稚園が終ったという実感が涌かないのである。
卒園の記念品にアルバムを頂いた。
表紙には卒園生の顔写真が並んでいた。
娘と仲のいいYちゃんは満面の笑みで天使のように可愛く写っている。
かたやわが娘は写真を撮られることを意識して緊張したのか、不自然な表情。
志村けんの「アイーン」みたいに顎を突き出している…(落胆)
今朝、法務の帰りにコンビニに寄ったら娘の1級下の男の子が母親と買い物に来ていた。
私を見つけるとニコニコして手をふってくれた。
コンビニを出て車を走らせていると娘の同級生達のことが思い出されてた。
校区の関係で同級生たちとは離れ離れになるのが少し寂しい。
娘の同級生たちは皆可愛かった。
1日を1日を懸命に生きているように感じた。
だがその可愛い子供たちが大人になるのつれて悲しいことや辛いことを経験する…
そのことを思うと、胸が熱くなるような、心が苦しくなるような感覚を覚える。
お釈迦様は人生における生老病死を四苦と言われた。
知識不足で断定できないが『苦』とは私たちのイメージする<苦しみ>というより<思い通りにならないこと>とする説がある。
また『生』が苦であるというのは、『生きること』が苦なのではなく、輪廻する生命として『この世に生れること』が苦なのであるという。
いずれにしても私たちの人生には喜びや感動だけでなく悲しみや苦しさも体験せねばならない。
幼い子供達をみているとそんな当たり前のことが残酷ですらあるように感じる。
春という季節の変わり目で心が感傷に傾いているのかもしれない。
【たとえ本気で笑っていなくても、笑うという行為を行うことで脳は騙されて、免疫が活性化するという】
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