新緑の輝き 青海神社




もみじの多いお寺なので来訪が多いのは紅葉シーズンだが、私の一番好きなのは新緑、なかでも新緑のごく最初の時期である。今がその盛りである。
この時期のもみじの美しさをできれば大勢の方に知っていただきたいものだと思う。


瑞々しさ、清冽さ、透明感、輝き…この時期の若葉の美しさをうまく表現することは難しいし、写真に撮ろうとしてもなかなか思うようにはゆかない。


人は紅葉を美しいというが紅葉の美しさは晩期の美しさである、人間でいうなら…新緑がAKBで、紅葉は熟女ではないか。


この美しい季節も残すところ1週間ほどであろうか。
お近くの方は是非足を運んでいただきたい。







地震の知らせが続き不穏な気配であるが、日本は地震大国なのだ…とあらためて感じずにはいられない。




地元の霊峰青葉山は福井高浜方面からは秀麗な山容を臨むことができるが、山肌には多くの溶岩がみられ、かっては激しい火山活動をおこなっていたと考えられる。



丹後富士という名称から山頂から火山弾を吐く姿を想像していたが、知人から大変に興味深い説を伺った。



地図でみると青葉山の北に隣接する内浦湾が実はカルデラであり、青葉山はその外輪山なのではないか?というのである。




巨大な火山活動の結果陥没してカルデラが形成され、海水が浸入することで内浦湾を形成したというのである。地形をみるといかにも…という気もするが実に面白い説明で関心をかきたてられた。








数日前に以前から気になっていた福井の青海神社に参拝した。



山寺から車で15分ほどであろうか、国道から良く見える位置に入り口がある。



入り口から拝殿までに沢山の巨木が生えていて特にケヤキが多いように思われた。樹高20メートルを超す大木のケヤキもあった。青海神社は大木が多いことから「大森さん」の呼び名もあるらしい。



話が飛んで恐縮だが、たまたまその日の早朝に山寺に参拝された高専の先生と境内のケヤキの下で立ち話していたら、その方が大変に樹木の好きな方いろいろと面白い話しをうかがうことが出来た。



その方によれば「明治大正期、舞鶴ケヤキの一大産地であった」とのこと。
たしかにこの地域はケヤキの植生に適しているのかもしれない。


閑話休題


青海神社の由緒書には興味深い事実がいくつもみつかる。


本殿の後方には、当社を創祀したと伝えられる青海皇女が青葉山遥拝のために禊をしたという小さな石造りの池が祀られている。


青郷という地名も青葉山にちなむが、青郷とはは高浜町の内浦地区はもとより京都府舞鶴市の大浦地区までをも含む広大な領域であり、青海神社こそ若狭丹後国にわたるこの地域の総鎮守の宮であった…という記述はどのように考えたらよいのだろうか。


青葉山を大浦方面から望む地域に「大波(おおば)」だが、この地名も「青葉」にちなむという説がある。


歴史について学ぼうとするとどうしても地誌、地学にもふれざるを得ないが、知識の不足を痛感している。青葉山が外輪山…という話など実に面白いではないか。






延喜式内 青海神社由緒』

主祭神 椎根津彦命(珍彦) 祭日
合祀神 八幡大神稲荷大神 祈年祭 二月十一日
(柴の曳入神事)
例大祭 十月十七日
御神徳 海上漁業の導きは元より 新嘗祭 十二月三日
諸業の先導、指導 夏越祭 七月一日
他に治山治水殖産興業 池替神事

当神社の創建年代は不詳なれども、延喜年間に編され延長 五年(西暦九二七年)に撰進された延喜式神明帳に記載された 式内社であり、古くから信仰を集める古社であります。
主祭神椎根津彦命は古事記日本書紀に依ると神武天皇 東征の砌、海道を導かれ日本の建国に際しては殖産興業に 御尽力されました。
青郷の人々の祖先である青海首は海部と呼ばれる海に関 る人々であり、御祭神椎根津彦命の末裔でありますが、 海部を御統治された第十七代履中天皇の皇女飯豊青皇女 (青海皇女)が御祭神を慕われ御祀りになられたと伝えている。
現在、御本殿後方の窪池は、飯豊青皇女の禊池と伝えている。
古代の青郷は現在の地域よりもはるかに広く、現在の青郷は元よ り高浜町の内浦地区、京都舞鶴市の大浦地区をも含み、当神社は 若狭丹後国にわたるこの地域の総鎮守の宮であります。







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