無事の便り 巡礼用品
福岡に本山の同期生のお寺があり、以前訪ねた折に、熊本城へ観光に連れて行ってもらったことを思い出した。
熊本城に近いということは何か被害を受けているかもしれない…と少し心配になったので電話してみた。
同期生にはすぐ連絡がついた。同期生のお寺は震源地から80キロの距離にあり震度5の揺れ経験したそうである。
被害は
『灯篭の傘が落ちたこと』、
『仏像(立像)の光背が外れたこと』など
友人は「いっそのこと仏像を立像から坐像にしようか」などと物騒なことを言っていた。
確かに立像よりは坐像のほうが安定は良いが…
久しぶりに友人の元気な消息を聞くことができ安心した。
こうした甚大な災害に際していつも思うのは、普段、平穏無事であることがどれほどありがたいことをもっと心から感謝すべきなのではないかということである。
妻が裁縫をしていたので尋ねると、娘のランドセルの肩当を作っているという。
荷物が多いのか、ランドセルが重いのかランドセルのベルトが体に食い込んで痛いらしい。
中身の詰まったランドセルを持ち上げてみるとたしかにかなりの重さである。
なので…
「おいづる※を着せてはどうか?」
と言ってみたが妻には通じなかった…
※wikiの「白衣(巡礼用品)」の項より
元来は笈摺(おいづる)といって、昔は巡礼の際に観音像を背負って歩いたが着物が観音様が直に触れてはいけないとして、白い布を間に当てたのが起源となる。白は穢れなき心を表し、様々な悩み、迷い、汚れを落とすという意味も持つ。
その後近代になって、死に装束である経帷子の代わりに着用するという考えが生じた。これは、厳しい旅が続く巡礼中は死と隣り合わせであるから、どこで死んでもそのまま葬ることが出来るように死に装束を着る。または、死に装束で他界(聖なる世界)を行く者であることを象徴し、巡礼者は一度死んだものとして霊場を巡り新たな生を得て蘇る。といった発想に基づくものである。巡礼者が白い手甲と脚半を着けるのも死に装束に準じているものといえる。
判衣(はんい)は白衣ではあるが巡礼中に着用するものではなく、札所で朱印を受けるものである。自らや親しいものがなくなった際に朱印を受けた判衣を死に装束として着用させると極楽へ行けるといわれる。
【杏さんの歌上手です!】
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