さしずめ 引揚記念館
本日は穏やかな1日。
気候が春めいてきたせいか、穏やかに老境を送る老僧も少し体調が良いようだ。
知人のSNSに「アラフォー」「アラフィフ」とならんで…
「アラコキ」(古希?)
というのがあって笑ってしまった。
老僧ならさしずめ…
「アラベジュ」(米寿)?
本日は兼務寺院にて留守番。
帰りに引揚記念館の横を通るとつつじが綺麗に咲き始めていた。
引揚記念館のそばを通るたびに思うのは祖国に帰りたくても果たせなかった人たちの思いをどう受け止めればよいのかということである。
先日、露国で強制労働させられた方の体験談を伺う機会があったが、ようやく帰国の途につき、長い航海の末に本土が見えてきたときに誰も言葉を発することができなかったという。感動というよりももっと深い思いが垣間見えたようで胸が熱くなった。
私が生きている今という時間をどう考えれば、どう感じればよいのだろうかと考えることがある。
今というこの瞬間に、憂うべきことも、感謝すべきこと、怒るべきことも、悲しむべきことも、愛でるべきことも…あらゆる今という時間がある。
宗教のひとつの答えは今を生きるということにあるのだと思うが、その今のどこに、何に焦点を合わせればよいのだろうか…と日々の生活に流されながら考えている自分がいる。
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