お互い様 月刊住職 古墳にコーフン 性と死の密教 


昨日も熊の目撃情報1件。


高専のバス停付近で目撃とのこと。ウチから随分近い…




【こんな可愛い小熊ならいいのだが…】




狭い官舎に住んでいるという友人が


「お寺は広いからイイね!」



というので…


「布団の中にムカデがいて刺されたことがある」


とか


ゴキブリホイホイに青大将がかかったことがある」


といったら



「…やっぱり官舎のほうがいい」


私も時々マンションやワンルームの暮らしが羨ましく思える時があるのでお互い様である。









島根の禅寺に行って禅機を頂いたらしく、毎日僅かでも座らないと落ち着かない。




というわけでブログの更新も少々滞りがちである。






心を沈めて座るべきなのだが、座り始めると自然の気配を感じて、心が浮き立ってしまう。



浮き立ってしまっては座禅にならないのだが、それでも日常的な動作や思惟を止めたときに一挙に自然の気配が伝わってくるのは心地よい。



風の涼やかさ、虫や鳥の声、動物の気配、山から伝わってくる冷気…




心が浮き立ってはダメなのだが、やはり自然を感じるというのは心地よい。



今朝は座っていると小さな音が間断なく聞えることに気がついた。



極微かな音なのだが途切れずに聞え続ける。



夜になると淡い緑の羽虫が窓に100匹以上も取り付いていたことを思いだした。



聞えてきた音というのは羽虫が窓に当る音らしかった。



ごく小さな羽虫なのだがいつの間にか部屋のなかにもかなり入っていて少々閉口する。


月刊住職 2016年5月号―寺院住職実務情報誌

月刊住職 2016年5月号―寺院住職実務情報誌




本日届いた『月刊 住職』を読んでいたら


大分県にある浄土真宗本願寺派の宗門高校で女子生徒による聖歌隊?『NUM-NUM GIRLS』(ナムナムガールズ)が結成されたとのこと。


ちなみに歌っているのは…


『夏の終わりのナムナムタイム』




『月刊住職』の投稿欄に「人を笑わせるが一番難しい」という投稿が載っていた。



笑ってもらえると話を聞いてもらえるのだが笑ってもらうのはなかなか難しい。聴き手の心が開いていないと自分の考えの押し付けになってしまうという。非常によくわかる…



その御住職のテッパンネタは<18歳と81歳>という話。



「道路を爆走するのが18才、逆走するのが81才」

「心がもろいのが18才、骨がもろいのが81才」

「恋に溺れるが18才、風呂で溺れるのが81才」

東京オリンピックに出たいとおもうのが18才、東京オリンピックまで生きたいと思うのが81才」


なかなかよくできてます(笑)






NHK歴史秘話ヒストリア」『コーフン!古墳のミステリー』が面白かった。


テーマは『前方抗後円墳』。


3世紀から7世紀にかけて4800基もの古墳が作られたという。


すごい数である…


判明している数が4800基ということは、その実数はいったいいくらのだろうか…???



前方後円墳の不思議な形のルーツについては諸説あるが、番組では東方に在ると信じられた壷の形をした島が起源ではないか?という説を主に取り上げていた。



その島は不老不死のユートピアと考えられたという。


おそらく除福が東方に不老不死の霊薬があるとした三神山のことであろうとおもわれる。


除福が東方の洋上にある神山をもとめて日本に至ったという伝説は数多いが、その日本において古墳の形で東方の神山が再現されていたとしたら興味深い。



もうひとつ気になったのは古墳の時代の終焉と共に、古墳に変わって豪族の氏寺の建立が古墳に代わったという。この説が果たして正しいか否か不明だが、プレ仏教の時代としての古墳時代というのは面白い見方である。



権力者が常に求めるのは不老不死と死後の安寧である。



除福を東方に派遣した始皇帝の例を引くまでも無いだろう。



もし古墳の造成が不老不死という権力者の永遠のテーマに基づくものであり、さらに古墳の時代を仏教の時代が引き継ぐとしたら、権力者にとっての不老不死といテーマを何が、誰が引き継いだのか?というのは興味在る点である。




ひとつの解答は7世紀の仏教には不老不死を可能にするメソッドがあったのかもしれないということではないか…ここらへんは私の関心と重なるので実に面白いと感じた。





性と死の密教

性と死の密教



ブックオフオンラインにて田中公明さんの「性と死の密教」(春秋社)を購入。



<性と死>というタイトルから一般向けの内容かと思いきや


著者が東大のインド哲学仏教学科で行った講義『インド密教研究』のテキストとのことでなかなか読み応えがある。




インド密教ではセクソロジー(性の論理)とタナトロジー(死の論理)が追求され、やがて両者が統合されるに至る…というなかなかダイナミックな展開である。


入門者にはチトきつい部分もあるが「理趣経」に関する部分をパラ読みしてもいろいろな発見があり、久々に真面目な読書になりそうである。


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