時々起こること ジュース1杯の幸せ

 


本日も酷暑の1日。




ニュースによれば昨日、熱中症で亡くなった方の7割が室内でなくなっていたという。



クーラーは贅沢品なので我慢…というのは昔の話である。



私が子供の頃は27度でも暑いと大騒ぎした記憶がある。10度以上も気温が上がっているのだからクーラーは扇風機とおもって使い快適に過ごすべきである。




知人が部屋に居たときに子供が入ってきて「この部屋暑い!」とびっくりされたそうである。


部屋で熱中症になるというのは単純にクーラーを我慢しているだけでなく、部屋の温度や湿度が上がっていることが分かりにくいことがあるようなのである。



加齢や体調の変化で分かりにくいこともあるだろうし、徐々に室温が上がることで身体が感知できなくなることもあるのだと思う。とにかく熱中症には気を付けたいものである。



本日は老僧も暑さでだいぶバテていた。











本日は仏像の拝観が2組。



午前に来られたの東京の学生さんだった。


当山の執金剛神についての卒業論文を書いておられるという。


1時間近く熱心に拝観されていた。



快慶の仏様というのはやはり他の仏像に無い何かがあるのだろう。



私も拝観の案内をさせて頂きながらいろいろな発見があるし、


拝観された方が仏像に見入って感心されたり感動される様を拝見するのは嬉しいものである。



仏像を見て感動している方からその喜びを感じることはよくあるのだが、時々、仏像からその方の喜びが伝わってくることがある。


なぜそうなるのかよく分からないが時々そういうこことを感じる。



本日も執金剛神について論文を書いておられるというのその方が感激を以って拝観されているとややあって安置されている快慶仏からこの方の喜びのようなものが感じられた。



まるで鏡が人の姿を映すように眼の前の仏像から若い学生さんの喜びや感動が伝わってくるのである。やはり優れた仏像というのはタダものではないのである。










棚行が無事終わりホッとしている。



お盆の疲れで数日眼の下に大きな“くまモン”ができていたがようやく普通の顔に戻りつつある。



子供の頃、棚行に回るとジュースを出してもらえるのが嬉しかった。



イマドキの子供達はジュースくらいでは喜ばないと思うが、私が子供の頃はジュースが飲めるというのはちょっとした贅沢だったのである。



ジュースにつられて棚行に回っているうちに住職になった…とはいわないが、檀家さんに大切にもてなして頂いた体験が子供の頃の記憶に強く残り、それがこの仕事に就いたことにつながっているように思う。



今の子供達は物質的には実に恵まれた環境にある。



そのかわり何かを得る喜びや感動というのが少し希薄になっているのではないか…という気がする。



さらにその先には自分の空間や時間が快適や慰楽によって満たされているのが当たり前という感覚にあるのではないだろうか。



ゲーム、携帯、音楽…移動や待ち時間の僅かな間にも“自分を楽しませてくれるもの”に没頭している若者や子供を見かけるとそんなことを感じる。



そしてそうした姿には喜びや感動よりは<孤独>や<拒絶>や<無関心>の空気を感じることがあって少し寂しくなることがある。



彼らが大人になったときにどんな社会が生まれるのだろうかと。







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