「お坊さんですか?」 阿弥陀の印相
「お坊さんですか?」
所用で京都へ行き、用事を済ませたので駅前の高速バス乗り場でベンチに腰掛けて待っていると、隣に座った男性から話しかけられた。
身なりは普段着だが剃髪したばかりなので眼についたらしい。
男性は私より一回りほど年上らしかった。中外日報という仏教系の新聞社の主宰した講演会を聞きに四国から上京されたという。
しばらく話していると、相手の方も浄土真宗の御住職と分かった…
浄土真宗の方は“有髪”なので在家の方を区別がつかないことが多いのである。
住職同士の四方山話になったが、大阪市街では年忌を三年忌までしかしないことが多いと聞いて少し驚いた。
三年忌といえば亡くなって2年後の法事である。
その後の年忌をしないというのは少し簡略化しすぎのような気もする。
仏教をとりまく環境もいよいよ大きく変わり始めているように感じた。
「お坊さんですか?」
右隣に座られた御住職とのお話が終るか終らないかのうちに今度は左隣の男性から話しかけられた。
年齢はやはり私より一回りより年上だろうか。
足許に眼をやると靴ではなくホテルでもらうような使い捨てのスリッパを履いておられる。
政財界の大物から有名人までいろいろな人物と知友であるといわれるのだが、足許がスリッパではいかにも説得力が無い…
バスが来たので挨拶して立ち去ろうとすると
「俺は三億円持ってるぞ!」
と豪儀なこと言われる。
でもスリッパ…
数日前に仏像を拝観に来られたドイツ人の方が言われた。
その方を車で松尾寺まで送っていったのだが、松尾寺の御住職のご好意で私も宝物殿を拝観させていただいた。
快慶の阿弥陀如来と地蔵菩薩の2体がやはり圧倒的な存在感があった。
仏像というのは見る時々で印象が変わる。
松尾寺の阿弥陀如来は右手を開いて差し出す<施無畏与願印>(せむい よがんいん)という印相をとっている。
もし私が仏師で同様の仏像を作るとしたらこの印を示した右腕は特に念入りに作るに違いない。
この印が示すのは人々の願いを叶えようという崇高なものであるからだ。
掌を開いて示した施無畏与願印がまさに私たち衆生の願いを叶えんとされているように感じた。やはり快慶は偉大である…との思いを新たにした。宝物殿は11月半ばまで開館とのこと。
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