かけちがい 松尾寺大祭 最高の休息法

時々気になる仏事のマナーがある。


それは首から念珠をかけている人がいること。



法事などでも時々見かける。本山では念珠は手首にかけると習ったが、では念珠を首にかえるのは果たしてNGなのか…




昔何かで読んだのは<罪人を処刑する際に念珠を首にかけた>というのがある(笑)



ところが念のために調べると



88ヶ所を279回も歩いて回り、生き仏と崇められた、中務茂兵衛という信仰者 は首から珊瑚の大珠数をかけていたとか…


密教を語る上で欠かせない密教僧であり、訳経僧である不空(不空金剛)の『金剛頂瑜伽念珠経』の中には念誦を首にかけて罪を清めるという記述があるとか…


確か「北斗の拳」でケンシロウの養父であるリュウケン師も首に大きな数珠をかけていた…


北斗の拳

北斗の拳


念珠を首かけるのは絶対駄目という積極的な根拠はどうも曖昧な気がする。




但し、<真言密教では首から念珠をかえるのは破門を意味する>と説かれる方もあって、


(特に真言宗では)首から念珠をかけるのはNGと強く思っておられる方が多いのも事実。



とりあえず念珠は首ではなく手首にかけるのが無難ということか。





【松尾寺山門】


【宝物殿前にて】




本日は西国札所松尾寺にて大祭が行われ私も出仕させていただいた。



本堂で塔婆供養が行われ、その後、本堂前にて柴燈護摩が執り行われうのだが、



本堂で塔婆供養のお勤め中にはたと気がついた…



私は法弓師といって弓を射って結界を行う役なのだが、最初に読み上げる願文を控え室に忘れていたのだ。

マズい…非常にマズい…(顔面蒼白)





万事休すとなったのだが…ちょっとしたハプニングがあり、お勤めが中断した。



これ幸いと控え室にダッシュして立ち戻り願文をとってくることができたので、無事に法弓の役割を果たすことができた。



人生の達人―心空和尚説法集

人生の達人―心空和尚説法集



護摩を焚いた後は庫裏にて名誉住職の松尾心空師の講話。



心空師は説法の名手であり、数々の著書を上梓されている。



米寿をこえられ益々お元気であり、私は講話の前座として20分ほどお話させて頂くことになった。


20分の講話のうち前半は真向法などの健身法を実演。後半は昨日、「世界一受けたい授業」を子供が観ていたのだが、そのなかでマインドフルネスが取り上げられていたのでその話題を取り上げた。


マインドフルネスというのは瞑想法の一種だが私が感じるのはマインドフルネスは禅宗の座禅から決定的な影響を受けていると感じられる。


マインドフルネスは座禅から宗教性を取り除くことによりアメリカにおいて学校、病院、刑務所など様々な施設、組織で実践され実績をあげている。



世界一受けたい授業」では「世界のエリートがやっている 最高の休息法」の著者である久賀谷 亮氏が出演されていた。



トップアスリートをはじめスティーブ・ジョブズなどが実践したとされるマインドフルネスはストレスの解消に極めて有効である。



これまで座禅や瞑想というのはあくまで宗教的な修行法と考えて取り組んできた。



その目的はあくまで心の向上であり、霊性の向上である。


ところがマインドフルネス(座禅、瞑想)が高度な休息法であり、ストレス解消法であることを改めて指摘されるとそこに非常に重要な意義があることに気がついた。


あらゆる精神的な疾患、あらゆる生理的な病の根本的な原因、背景的な原因、促進的な要因として精神的ストレスが存在する。



このことは偉大な生理学者であるハンス・セリエが80年も前に発見したことである。


したがって精神的ストレスを解消(緩和)することで精神的、肉体的な疾患が大きく改善することを意味することになる。



このことはもっともっと評価されるべきだと思う。




知り合いの禅寺の和尚さんも熱心に座禅会をされているが、昨日の「世界一受けたい授業」を見て大いに考えるところがあり今度から「マインドフルネス座禅会」と名称を変えようかと考えておられるとのこと。




現代はストレス社会と言い換えて良いほ度様々なストレスにさらされている、そのなかにあって古代インド以来の修行法である瞑想が新しい休息法、ストレスの解消法として再生されるとしたらとても素晴らしいことだと感じる。




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