クマのプレミアムシート 深夜食堂 そこにある 


今朝になって庫裏の前の小さな柿の木がクマに荒されれているのが見つかった。大量の枝が折られ柿の実が食べられていた。




野生動物というと手当たり次第に柿の実をたべるかと思いきやそうではない。



クマは柿の実のついた枝を折って柿の木の上に集める。


柿の実のついた枝で自分専用のプレミアムシートみたいなのを作って、そこに鎮座して柿の実を喰らっているらしいのである。



柿は実をつけるのに8年かかるというが、クマの被害をおそれて柿の木を切り倒す家が多くなった。


昔の農家は家の周りに柿の木があるときまっていたものだが、クマのためにその風景も変わりつつあるのは少し寂しい気がする。





ここ1年余りクマの目撃が多い。




よく山菜取りにいってクマの被害に遭うという話があるが、単に山菜を取りに山に入ったからクマの被害にあったということではないらしい。




山菜取りというのは山菜をもとめてうろうろと山中を歩き回る。



あっちへ行ったかと思うとこっちへ…



人間を見かけたクマが隠れてやりすごそうとしているのに、山菜を取ろうと人間が不意に自分のほうに近寄ってくるので驚いたクマが自己防衛のために人間を襲う…ということがあるという。



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動画で「深夜食堂」というドラマを何話か観て面白かった。



原作は「ビッグコミックオリジナル」に連載中とのことでまだ読んでいないが、小林薫氏が実にハマりで、そのハマりっぷりを見ているだけで楽しい。










朝、眼が覚めると布団のなかで考え事をしたり、呼吸法などのトレーニングをする。



正確に言えば意思が弱いのですぐに布団から出ることができなくてグズグズしているだけなのだが…



瞑想では呼吸に集中するというのは基本的なテクニックなのだが、呼吸しながら“今”ということを考えることが多い。




私たちは今を生きているはずなのに、今を見失っているのではないか。




私たちの意識は過去に起った不快な出来事と将来起るかもしれない不安や義務感のなかで右往左往しているのではないだろうか。



健康という側面から考えると私たちは過去と未来という2つの幻影に脳が浪費され、そのことは大きなストレスとして免疫作用を妨げているのだと思う。



逆に言えば過去と未来の幻影から開放されれば免疫の向上が期待できることになる。


つまり病気になりにくく、病気を治しやすくなることになる。




最近、何度か“瞑想”がテレビ番組が取り上げられ、いろいろ考えることがあった。






そして今朝は布団のなかで得がたい経験をした。




急に心のなかの葛藤や引っかかっていたものの何割かがほどけてすっきりとしたのである。



あまり無い経験で、気持ちが軽く温かくなったことが嬉しかった。




その時私がおこなっていたのは呼吸に意識をむけるということである。



呼吸に意識をむけているうちに、呼吸というものが自分を生かしてくれているという感覚があった。


あるいは呼吸を通じて自分が生きているということを実感できた気がしたのである。




そのことで私の心に変化がおきたらしかった。







呼吸に意識をむけて息を吸い、吐いていると、それだけで心が温かく、柔らかくなって、手先も体温が上昇し始める。






そして1度、その感覚を覚えてしまうと、僅かな時間ですぐにその状態なれるようになった。





勿論、私が生きていることを支えているのは呼吸だけではない。


血液が身体を巡ること、食物が消化され吸収されること、睡眠をとれること…自立的な生理機能として行われていることがどれもとても大切だということに気がつく。自分の意志ではない営みが自分の命を支えてくれているというのは生かされているということではないだろうかとも思う。




ただ生きているだけの時間にとても豊かなものがあることに気がつけたことは大きな収穫だったように思う。そしてこの感覚をもっとはぐくんでいきたいと思っている。



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