真田丸のジオラマ 施餓鬼
昨日で本年のライトアップも無事終了。
昨年は11月に汗ばむほどの陽気になりその影響で随分と早く落葉してしまったが、今年は順調に色づきそうである。
【午後3時頃の日差しに照らされると紅葉はひときわ綺麗に見える】
大河ドラマ「真田丸」もいよいよ真田丸の築城が始まり佳境に向かいつつあるが、紅葉シーズンの繁忙期でここ数回ゆっくり観る時間がない。
真田丸は半円形の出城と考えられてきたが、最近の研究では台形に近い形をしていたらしいことが分かっている。
「天王寺 真田幸村展」で真田丸の復元ジオラマが展示されており、詳細に復元された真田丸を見ているとウズウズしてくる。
【関連記事】http://www.city.osaka.lg.jp/tennoji/page/0000308772.html
私たちは大阪城の攻防において幸村が悲劇的な死を遂げることを既に知っている。
三谷脚本のドラマでは今後どのように推移してゆくなだろうか。
幸村は紙一重で家康の首を取りこそなったと言われるが、大阪城の攻防で家康が討ち取られていれば歴史は大きく変わっていたに違いない。
しかし幸村が討ち死にし、豊臣家が滅んだからこそ徳川幕府による超長期の社会的な安定と秩序がもたらされたといえなくもない。
眼に見えない力が社会の安定を望み、その大きな流れに幸村は抗うことができなかったのかもしれない…と最近感じている。勿論、根拠の無いいつもの妄想であるが…
先日、本山の同期生のお寺に集って法要の研鑽を行った。
その日の昼食を接待していただいた時に施餓鬼作法を行った。
施餓鬼とはお盆の法要として行われることが多いが、これは施餓鬼を施すことが多いに功徳があることから、お盆の先祖供養と結びついたものであり、本山などでは朝、昼の食事の前に施餓鬼の供養を行った。
生理的には食事を眼の前にして「早くご飯が食べたい!」と思うのだが、施餓鬼の作法無しには食事は始まらない。
どんなに空腹であっても眼の前の食事に手をつけることはできない。まずは諸霊の供養を行ってからようやく食事が始まる。食事も無言で行い決して会話することは無い。食事もあくまで作法の一環として行われる。
同期生のお寺で久しぶりに施餓鬼の作法を行いその時の感覚がまざまざと甦ってきた。
本山では夜寝る前にも施餓鬼の供養が行われる。
毎晩、就寝前に施餓鬼の供養行ったが、これは修行が円満に成就することを願って行うものであるらしい。
施餓鬼というのは他者、とりわけ恵まれない他者に施すという精神に基づくものであると思う。
他者への施しなくして自身の繁栄も無いという発想は大変に重要なのではないか…と改めて思った。
現在の社会はいよいよ他者の不幸の上に自分の繁栄を築くという方向に向かいつつあるのではないかという気がする。
社会の格差が広がるほど、安価な労働力や安価な兵士が生まれる。
それらを吸収して経済や軍事が膨張してゆく…
地獄で飢渇にあえぐ餓鬼の腹が膨満してゆく様のようにも思える。
こうした社会の混沌を整えうるのは<他者に施すことで自身も繁栄する>という精神ではないだろうか。
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