12 YEARS AFTER モヤモヤ ライトアップ  

本山で共に修行時代を送った同期生が晋山式をすることになった。



晋山式とは新しい住職がお寺に就任し、新旧住職が交代する法要であり、住職にとっては最も大切な法要のひとつである。


そのことを機縁として新住職である同期生が晋山式の翌日に同期生により法要を営むことを立案してくれた。晋山式の準備だけでも忙しいはずだが、それに加えての法要の準備は大変だったに違いない。同期生がこのような形で集うのは12年ぶりのことである。


修行時代に指導監督をしてくださった寮監が導師となって理趣三昧という法要を営むことができた。


理趣三昧というのは理趣経を中心にした密教特有の法要である。


真言宗には各種の法要が存在するが地方寺院にとっては理趣三昧のような本格的な法要を行うにはいろいろな制約が多い。


大掛かりな法要を行うには大変な準備が必要となるからである。そのため年中行事として行う法要はどうしても略式のものになりがちで、本山で習得した各種の法要の知識や技能は廃れてしまうことが多い。日々の法務の傍ら、こうした知識や技能を維持することは並大抵のことではない。


兵庫県のお寺で行われた理趣三昧法要には多くの同期生が参集してくれた。


法要前に打ち合わせをするうちに少しづつ昔の感覚がもどってきてなんとか2時間あまりの法要を無事終了することができた。


法要の間、修行時代の様々な思い出が思い起こされ、感無量だった。多分、同期生全員が同じ思いだったに違いない。初心に帰ることの大切さを今更ながら感じた。







幼い子供が交通事故に遭って亡くなり、その葬儀の模様がニュースで流された。



気になったのは映像では葬儀という看板が立てられているにも関わらず、ニュースの原稿では『「告別式」が営まれた』となっていたこと。


葬儀と告別式は全く別のものである。


僧侶によって行われた葬儀に後に、喪主によって執り行われるのが告別式である。


だが実際には葬儀とその後で行われる告別式の全体をさして『告別式』と呼ばれることが多くなりつつある。葬儀場周辺の看板にも葬儀ではなく告別式と書かれるようになった。


そのことを喪主家にも葬儀社にも言いたいと思うことがあるが、大切な人を亡くされ悲しみにある方々にそのようなことで気持ちを煩わせたくないという思いのほうが勝ってしまう。


最近、このことにいつもモヤモヤしている。
これは是認すべきなのか、認めてはいけないことのか…と。






本日はライトアップ最終日。

昨日に引き続き本日も好天に恵まれ大勢の方が来訪してくださった。

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