着火1分後  ら・ら・ら

 




相変わらずいつまでも気温が低い。今朝は氷点下にまで下がったとのこと。




法務が続いて下降した体調もようやく回復傾向。





午前中、法事が2件あったが2件目で食事を出して頂いた。



よく考えたら1週間ほど軽いものしか食べていなかったことに気がついた。いきなりヘビーなご馳走を食べても大丈夫かな…と思ったが無事終了。






まだまだ寒い日が続くので薪で焚いたお風呂に入るのが愉しみである。




焚口に薪、小枝、杉葉などを入れて火をつけるのだが、ごくまれに着火して1、2分した頃、焚口から突然に炎が逆流してくることがある。



場合によっては40、50センチくらいの炎が爆発するように噴出してくる。




迂闊に覗き込んでいたら火傷は免れない。



火が燃えることで空気は炉のなかに吸い込まれるのだがそれがなんらかの原因で逆流するらしいのだが、詳細はよくわからない。




先日、妻が初めてその事態に遭遇したのだが、かなりびっくりしたらしく


バックドラフト!」


と言っていたので笑ってしまった。昔の映画のタイトルである。








待ち合わせで駅のそばの古書店に入ったら空海の言葉を現代語訳している本を見かけた。



タイトルは失念したが、現代語訳した空海の言葉を箴言として読む…という趣旨のようだった。




そのなかにおおよそこんな一節があった



美食をするような美女もやがて野犬の糞尿になる



なかなか凄惨なことばだが仏教は亡くなった美女の死骸がやがて変色、腐敗し、最後は燦爛する骸骨なるというような画が沢山残っている。



インドでも死体を前にそれらが形を変えやがて腐敗していく様を凝視することで人生の無常を覚るというような修行法があったようなので、そのこととも関係があのかもしれない。




空海様といえば有名な方でファンも多いのだろが、類書が随分出版されている。



密林だと「なか見!検索」といって内容の一部を読むことができる。



パラパラみても表面的に解釈しているようなものが多く少しがっかりである。





それにしても美人が野犬の糞尿になるというのは死体が放置されるかそれに近い状態になることで野犬に食べられることえを意味しているのだろう。



丁寧に土葬されたり、火葬されればそのような事態にはならない。



往時、人が亡くなるとしかるべき場所に運んでいって捨てていたとも言われるが今日とは随分感覚が異なる。




いよいよ人生というのはうかうかしていると本当に残り僅かだだなと思うことがある。その短い間にいかほどのことがなし得るのだろうか。







数日前にテレビで大黒 摩季の「ら・ら・ら」という歌が流れていたが、久しぶりに聞いたら数日頭のなかで鳴っている。そしてなんとなくこの歌を聞いていると体も元気になる気がしている。昔の歌はいいものである。






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