花々 乗車不可能 多聞天と増長天 



午前中は棚経。



7時頃に棚経を開始したが、8時になるともう暑いと感じる。






田舎道を歩いているといろいろな花が咲いている。


百日紅朝顔、女郎花、百日草、菊、ノウゼンカズラ


それらに眼が合うとふと気持ちがゆるむ。



張り詰めたいたものがほどけるように感じるから不思議である。


花の持っている癒しというのは優れたものだと思う。



時々、花に元気を貰いながら棚経を終了することができた。








棚経で読経の後、檀家さんと少しお話する。



もちろん時間の制約があるので話し込まないようにしているが、ついつい長話になることもある。



時節柄、熱中症のことがよく話題にのぼるが


あるお宅で


「私も草刈りしているときに熱中症になったことがあったんですよ」


と言ったら…



先方の檀家さんがびっくりした様子で




「じゃあ霊柩車に乗られたんですね!」



といわれたので先方のご家族ともども大笑いになった。




救急車→霊柩車








ひさしぶりに笑ったらだいぶ疲れが抜けた。有難いことである。












先日、文化財の調査にこられた文化庁の技官の方とお話する機会があったが、いろいろと知見を広げることができた。




多聞天(藤原時代・重文)】


増長天(藤原時代・重文)】





阿弥陀如来の脇侍に多聞天増長天があるが、多聞天は像容として宝塔を捧げているが、当山の多聞天も持つ宝塔は像の作られた平安末期のものが保存されている点で貴重とのことだった。



多聞天は宝塔を持つが、多くの場合遺失したり、盗られてしまうことが多いのだという。


鎌倉時代多聞天でも製作当時の多宝塔が残っているのは数例しかないという。



増長天の袂をよく見ると、裾が結ばれている。




今まであまり気に留めなかったが、この点について伺うと、四天王など複数の像を作る場合、像容に変化を持たせるために裾を縛ったり、裾を広げたりといった変化をもたせることがあるという。


考えてみると、昔風の衣帯で槍や棒などの武器を使おうとすると袂が広がるのは邪魔になったはずであったことは想像に難くない。袂を結ぶというのは実践的な技術として合理的である。







私は多聞天増長天ともに槍を持っていると勘違いしていたが、多聞天は宝棒を持つものらしい。先端が尖っているので槍だと思っていたが宝棒という武器であるらしい。



仏像というものは信仰の対象であるからあまり意匠の細部にこだわらずに向きあうべきだと思うが、やはり専門家の方からディープなお話を伺うのは楽しいものである。






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