幕末の仁和寺 ダライラマの偈文
今年は不思議とハチの巣を見ていなかったが、勝手口に群生しているシュカイドウの葉の裏に小型の蜂が営巣しているのを見つけた。おそらく足長バチだろう。
蜂の巣はあっという間に大きくなるし、分かりにくい場所なので家族が刺されないように除去することにした。
昨晩、深夜3時頃物音で眼を覚ました。
普段は少々の物音では眼が覚めないのだが、かなり大きな音だったので、一瞬泥棒か何かが侵入したのかと錯覚して眼が覚めてしまった。
しばらくして土砂降りとなった。雨が降る前触れの風で日よけの立て簾が窓に当たったとらしかった。
関東では21日連続で雨が降り、観測史上2番目の記録となった。
本日も残暑が厳しいが夜半には涼しさのなかに秋の気配を感じる。
陽が落ちると肌寒さを感じるほどの風が吹くことがある。秋の虫が一斉に鳴き始め、その鳴き声は深々と身にしみいるように感じる。
ある本に幕末のことが書いてあった。
(以下が史実かどうかは定かではないので書名は記さない)
私の修業道場であった仁和寺が幕末には1万を超える末寺を有していたという。
現在の御室派寺院は約800ケ寺である。現在、真言宗で最も末寺の多い高野山真言宗の末寺は3700ケ寺ほどであるからその寺勢は大変なものだったらしい。
本山である仁和寺の経済力は朝廷を優にしのぐほどであり、その経済力が討幕の資金に多いに活用されたという。
鳥羽伏見の戦いでは征討大将軍に任ぜられた仁和寺宮嘉彰親王(にんなじのみやよしあきしんのう※後の小松宮彰仁親王)であり、親王は錦の御旗(みはた)を掲げて戦った。
仁和寺門跡が征夷大将軍に任じられ理由のひとつは仁和寺の豊富な資金力であったのかもしれない。
幕末の歴史では寺社勢力の役割は殆ど取り上げられることは少ないが思いがけないところで本山である仁和寺の事績を読んで興味深く感じた。
懺悔文
我昔所造諸悪業(がしゃくしょぞうしょあくごう)
皆由無始貪瞋癡(かいゆうむしとんじんち)
従身語意之所生(じゅうしんごいししょしょう)
一切我今皆懺悔(いっさいがこんかいさんげ)
我れ昔より造る所のもろもろの悪業は
皆無始の貪瞋癡(とんじんち)に由る、
身語意(しんごい)より生ずる所なり、
一切我今(いっさいわれいま)、みな懺悔(さんげ)したてまつる
7月に読んだ密教関係の書籍のなかに懺悔文のことが書かれてあって、とても印象に残った。
恐らく在家勤行には必ずといっていいほど懺悔文が記されているが、これまであまり意識したことがなかったのだが、なぜかそのときはこの懺悔文がとても大切なように思えた。
そして考えれば考えるほどその大切さが感じられた。
今の不幸というのは過去に自分の織りなした身と口と心のなかのある。
それは貪り(欲)であり、怒りであり、癡(愚かさ)であるというのは考えれば考えるほどあてはまるのである。
そのことを懺悔せずに今をよくしたいというのは無理であると(笑)
そして在家勤行というと短い簡単なお経のイメージがあるが、侮り難しと…
在家勤行ナメたらいかんぜよ…と。
故人の供養においても亡くなった方がもし迷っているとしたらこの三毒(貪り、怒り、愚かさ)に尽きるといってもいいのではないだろうか。
そして仏道に発心した者にとっても常にこの三毒と戦う、克服することがついてまわるのだと思う。
というわけで今年の棚経では随分この懺悔文をお唱えした。
そのせいか自分のなかでなかなか越えられなかった部分が少しクリアになった気がする。
大坂でダライラマ猊下の灌頂が行われた…と人づてに聞いていたのだが、たまたまこの灌頂に参加された方にお話しを伺う機会があった。
そこで確認したのはやはり仏道にあっては三宝に帰依し、人を救うという気持ちを持つことが大切であるということであった。そこで説かれているのもやはり在家勤行に書かれていることそのままのようであった。
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先日から時々読んでいる「バカボンの詩」にダライラマの説教文が載っていて、そこには
『菩提心生起の偈』が載っていた。
ダライラマ猊下をこれを日に3度声に出して読むことで空慈を得ると説かれる。
空慈(空観?慈悲?)を得るとはどんなすごいことかと思うが、それは次のような内容である
『菩提心生起の偈』
すべての有情を救済しようという願いによって
仏陀・仏法・僧伽に
悟りの心髄に至るまで
私は帰依いたします
智慧と慈悲を持って精進し
すべての有情を利益するために
私は仏陀の御前に
完全なる菩提心を生起いたします
この虚空が存在する限り
有情が存在する限り
私も存在し続けて
有情の苦しみを滅することができますように
訳文はダライ・ラマ法王14世公式サイトより転載。
【関連記事】
http://www.dalailamajapanese.com/teachings/training-the-mind/generating-the-mind-for-enlightenment
それによって空慈を得るというのは実に得心がいく話である。
そのことも皆在家勤行に書かれてあることばかりである。
やっぱり在家勤行をナメたらいかんな…との思い新たにした。
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