彼岸中日 由良の戸を
本日は彼岸の中日。
彼岸の入りから続いた松尾寺の彼岸法要への出仕も本日で終わる。
威容といって良い本堂の結構の素晴らしさ。
霊山である青葉山に抱かれ、その霊気と一体になった観がある。
松尾寺へのルートはいくつかあるが、今日は福井方面を経由して帰る。
田んぼの縁に彼岸花が咲いていて穏やかな光景だった。
- 作者: 田辺聖子
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 1991/12/01
- メディア: 文庫
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丹念な読みと想像力の奔放さ、情感の細やかさに感心してしまう。
虫の鳴く秋の夜長に読むにはふさわしい。
地元に少し関連のある歌としては
由良のとを わたる舟人 かぢを絶え ゆくへも知らぬ 恋の道かな
曽禰好忠(そねのよしただ)
田辺聖子の訳が上手い。
紀の国の由良
その由良の海峡を渡る船人が
梶を失ってただゆらゆらと
波間にただようように
わが恋もまた 行方も知れず
ただようばかり
ただゆらゆらと…
何がうまいかというと由良という地名に「ゆらゆら揺れる」というニュアンスがるのをきちんと訳に織り込んでいる。
曽禰好忠は丹後の下級官吏なので由良の戸とは丹後の由良(当地からすぐ近く)という説も根強いが、田辺聖子は曽禰好忠は万葉集に傾倒していたので同じ由良という地名でも歌枕として名高い紀淡海峡の由良を指すと主張する。どちらの地名にも掛けていたとしてもおかしくないだろう。
曽禰好忠は変わりもので歌風も新機軸という風の歌が多い。
どこか現代的なのである。「ゆくえもしらぬ恋の道」などという言葉も現代の私たちに少しも違和感がない。なさすぎて驚いていいくらいである。
勅撰集には身分の低いいわば“うだつの上がらない人々”の歌も多数収録されていて、身分や家柄だけでなく、歌才によって人を評価するという基準があったようである。それはそれで立派なことであると思う。
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