鹿ぞ棲む 流々亭さん 世界平和の祈り


仏像を拝観にこられたご夫婦がありご案内して建物を出ると、ご夫婦がじっと裏山を見ておられる…




山肌に鹿が1頭。





器用に首だけ後ろに向けてこちらを凝視している。


首が…柔らかい(驚)


双方凝視…




…って、まだ昼間なんですが(苦笑)




わが庵は都の辰巳しかぞすむ世を宇治山と人はいふなり 喜撰 


【「しかぞすむ」とは<鹿が棲む>と<然(しか)と住む>(このように住んでいる)が掛けられているらしい。作者の喜撰法師は架空の人物で実は選者である紀貫之自身との説もある。】



【見事に美しい肢体。悪さをしなければ何も文句は無いのだが…】






SNSの記事を見ていたら松尾寺門前の流々亭さんに行かれた記事が載っていたので、ついふらりとリニューアルされた流々亭さんへ。


まずは本堂へお参り。


当然ですよね!








本日は天候も良く、写真には写っていませんがお参りの方も大変に多かったようです。



お店を営まれているご姉妹もいつものキャラクター健在?それぞれお子さんを連れてこられていて境内にも子供たちの声が響いていました。




緋毛氈を敷いた古民家の縁側に座って参拝の往来を眼にしながら頂く一服は格別也。



時々、のんびりお茶を飲める場所があるというのは幸せなことで、それはなんでもないようでいて実はとても大切な時間であると思う。


本日は新作の『抹茶檸檬』で一服。




檸檬×抹茶



意外な美味しさでした。



【流々亭】http://rurutei.net/











兼務している多禰寺というお寺は山間にあり、飛鳥時代に開基されたという古刹である。




五井平和財団という団体から平和を祈念する碑の贈呈を受け


舞鶴湾を見下ろす展望台に建てさせていただいた。




五井平和財団は国連、ユネスコとも協働関係にある平和団体である。



【五井平和財団】https://www.goipeace.or.jp/




今回、舞鶴市内の寺院、神社、公園などに碑の寄贈されているとのことである。
(松尾寺にも建立されたとのこと)



世界がいよいよ混沌としているときに



自分の意見を激しく主張したり、自分の意見と異なる人々と闘ったりという行為が国際関係でも国内政治でも繰り返されている。





どんな場合であれ双方が主義や主張の違いを超えて、その根底に世界の平和を願うという気持ちが必要だと思う。




それは政治だけではなく宗教においても同じ意味を持つのだと思う。




あらゆる神仏はその御心において私たち人類の平和を願っておられると思うからである。



そして衆生である私たち自身も神仏と同じく世界人類の平和を願うことが必要であると感じる。



私たちが世界平和を願うという神仏と同じ心境にあるときに、普段では頂けない加護やご利益にもあずかることができると思うのである。




お参りにこられた方に時々そうしたお話をさせて頂くことがある。




寺院では拝むということが一般に言われる



どうかするとお賽銭を上げて自分のお願い事をすることが拝むということだと思われがちである。


あるいは神社においても同じことかもしれない。



しかし自分個人の願いを越えて人々の幸せを願うなら、それは無名の個人の祈りであっても必ず意味を持つと思う。



世界の混沌や不破の根底には人々の憎悪や恐怖や欲望といった想念がある。


それらは等しく個の思いであり、全体との調和を欠いている。


それを超えるきっかけは人々がそれら業としての想念を越えて正しく祈ることであると思う。



世界がいよいよ混沌として戦争や大きな混乱の絶えない時代にこそそうした祈りは必要であると信じている。




ブログランキ

ング・にほんブログ村へ
にほんブログ村←いつもご訪問ありがとうございます!
丹後の山寺の住職に応援のクリックをポチッとおねがいします(^人^)






.