あいまいな名前 幼い達人 君が代


【千年ガヤの根本にある椿が満開】


水仙の開花も間近】


【いつの間にかモクレンの樹にはつぼみがいっぱいについてました】





新聞欄で亡くなった方や生まれた赤ちゃんのお名前が載るが、高齢者のお名前とキラキラした赤ちゃんの名前の対照にちよっとクラクラする。


いつだったか年賀状の最後のトムと書いてあっていよいよキラキラネームも極まったか…とおもったが、写真を観たらトムとは犬の名前だった…


ペットも段々人間並みの扱いを受けることが多いが、なんだかややこしいことになったものである。





幼い子供が相撲をしている動画を見た。


年齢は幼稚園の年中さんか年長さんくらいだろうか。


最初に見よう見まねで四股を踏むのだが、その動きをみて思わず見とれてしまった。


決して上手な四股ではないのだろうが、脚も腰も胴体もしなやかにつながっているような気がしたのだ。


以前習っていた太極拳を再開して取り組んでいるが太極拳のひとつの目標はバラバラに動いている体をしなやかに統一するということであると感じる。


相手に対して部分と部分の力では負けても、体全体で相手に抗すれば勝てる…そんなことも太極拳の秘訣であるらしい。少しでもそんな動きに近づきたいものである。


子供たちの素晴らしい動きはなぜ歳を重ねるごとに失われていくのだろうか。


私たちは言葉を学ぶ。「これは足」「これは手」「頭」「胴体」…


言葉によって物事を区分してゆくことは避けられない、そしてそれは絶対に必要なことだが、子供たちは様々な言葉や概念を学ぶ中で体の一体感や心と体の一体感を無くしてゆくのかもしれない。




【中国で何度も表彰されたという女性武家の動きが素晴らしい。しなやかにして体全部がつながっているように感じる。】



しばらくデスクワークが続いたので夕方は軽トラックに乗って薪拾いに行った。


持ち帰った雑木を電動の丸ノコで切っていく。


なんということのない作業だが2時間も体を動かすと心と体が落ち着くように感じた。



屋外の気温は高いが庫裏の中にはまだ冷たい空気がある。



それも後数日で陽気に変わるにちがいない。












「たらちね」という落語に大層育ちが良くて言葉遣いの上品な女性が登場する。

庶民である夫を「我が君」んだりするのが笑いを誘う。


「我が君」の『が』という助詞は夫婦間のような親しみをあらわすものであるという。

君が代は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで」

この歌は古今和歌集のなかに納められているもので、これが後に国歌としての「君が代」につながってゆく。

君が代」という場合の『が』も元来は同じ意味で使われていて、「君が代」という歌は元々は恋愛(親愛)の対象である“君”の命が永遠に続くことを願ったものであるらしい。


いよいよ卒業式シーズンである。「君が代」の流れる季節である。




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