恩送り 間違った使い方 自虐 青もみじ
新学期が始まりひと段落。
諸般の事情によりPTAの役員になり、昨日と今日は夜9時まで会合。
老僧も私が子供の頃はよく学校の役員をやっていた記憶がある。
名前が僧名で目立つので投票する人が多かったようだ。
先日も保護者の中から学級委員を選ぶ選挙が行われたが、名簿があいうえお順だと順番の早い人に投票される傾向があるらしく、名前の配列もアトランダムになった名簿から投票する仕組みなっている。
今どきは家庭も仕事も多忙である。そのなかで自分の子供のためではなく学校ために自分の時間や労力を費やすというのは大変なことではある。
だが自分も子供の頃、大勢の方に支えられて学生生活を送り、今こうして次の世代のために働いている。
今の子供たちも大人になったときに同じことを体験するのだと思う。
「恩送り」ということを言われた方がある。
自分がしてもらったことを直接その相手に返すことができなくても、次の世代の誰かに自分のできることをさせてもらえばそれでいいのだと。
もうじき担任の先生による家庭訪問。
昨年と同じ先生が担任になられた。
若いが真面目で熱心な先生なので一安心である。
もうじき家庭訪問なのだが
子供から
「私のこと喋らないでね。個人情報だから!」
個人情報の使い方を間違っとる…
10年以上使っているガラケーの液晶画面にいつの間にか2本の縦の点線のようなものが入っていることに気が付いた。
そろそろ寿命か?
ガラケーなのにライン(自虐)
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舞鶴で行われた大相撲巡業で市長が土俵上で倒れたことから百家争鳴の議論になった。
女性差別という文脈で女人禁制を批判する論調が多い。
女人禁制は神道ではなく仏教からきたものだという批判もあるが知識がないのでなんともいえない。
「君の名は。」で主人公が米を噛んで酒を作るというシーンがある。
酒類を醸造することを「醸す」というのは「噛む」から来たという語源が知られているが、単なる女性蔑視であれば女性が噛んで作った酒が大切にされるわけがない。
「穢れ」の語源は「気枯れ」という説がある。
体調の悪い人を特別扱いにするというのは差別ではなく、気の枯れた(不足した)女性への配慮という面もあったのではないかという気がする。
穢れだから特別な部屋に入れるというのは差別なのか、配慮なのかという判断で意味がい全くちがってくる。
女人禁制というのも奥の深い問題である。
今年は少し新緑の季節が早くやってきた。
もみじというと紅葉を愛でることが多いが、新緑のもみじは生命感に溢れている。
新緑のなかにいて、鳥の声や川の水音を聴いていると心が穏やかになって澄んでくる気がする。
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