三逮夜 さて問題は

  


檀家さんの家の前を通ったら袋詰にした柿が100円で売られていたので購入。


次郎柿と書かれてあったが素朴な味わいがあった。


柔らかい柿は苦手だが、固い柿は好物である。当分、柿には不自由しないだろう。




沢田研二氏がコンサートをドタキャンしたとかでインタビューを受けていたが、その写真が記事の隅っこに小さく載っていたのだが、白髪でヒゲを伸ばし、恰幅のいい(太った?)スーツ姿で、一瞬、カーネルサンダースの人形に見えた…


若い時のジュリーはカッコよかったぞ…と悲しくなった。


コンサートをドタキャンされたファンが「勝手にしやがれ」と言ったとか言わないとか…


昔キレイだった人とか昔カッコ良かった人というのが頻繁に取り上げられるが、やはりお金を掛けずに番組を成立させたいというのが本音だろう。


上手に歳をとるというのは難しいのだろう。



昔の自分に固執している姿はいろいろなことを教えてくれる。






老僧が亡くなり三逮夜(没後21日目の供養)を終えた。


四十九日は11月の繁忙期に当たるので、三逮夜で親族に集まって頂き法要後に会食をした。




葬儀を終えて少しづつ落ち着きを取り戻しつつあるが、毎日のように弔問が続き、生前に大勢の方とお付き合いを頂いたことが改めて感じられた。



葬儀の際に適当な遺影が無いのではないかと心配していたのだが、老僧は何年も前に撮影をしていたらしい。


長い白いヒゲを蓄えた写真である。


白いヒゲを見て何割かの人が「仙人みたい」と言われる。


生前の老僧はそう言われると「何(なん)にもセンニン!」というのがお決まりの返しだったが…




既に親を送る歳になっていてこちらもそれなりに心の準備が持て、老僧が発病してからもに亡くなるまでに随分時間があった。老僧は枯木が枯れるように少しづつ生命を衰退させていったように感じる。


急逝される方が時々あるが、その心労というのは想像に余りあるものがある。





取り立てて悲しいとか寂しいという気持ちは湧いてこないのだが、弔問に来られた方から老僧の生前のお話を伺い、その方の心情にふれるとつい胸が詰まるような気持ちになる。


自分の悲しみではなく、眼の前の方の心象の中にまだ老僧が生きているという感覚を錯覚する。あるいは老僧を慕ってくださるお気持ちに触れると嬉しくてつい涙がこぼれそうになる。




さて問題は…


11月4日に霊場会の法要を当山で行うことになっていることである。



毎年、霊場会の寺院に各寺院の住職が参集して法要を行う。



霊場会の大方の住職が集まられるというと規模の大きな法要になるので、小心者の私は逃げていたのだが、既に20ヵ寺で法要が終わり、残り5ヵ寺となってしまったので覚悟して法要の開催を決めた。


11月4日に備えて10月はひたすらその準備だけをするつもり…だったのだが老僧が亡くなってあれやこれやで気がつけば2週間も無い。





20人あまりのご住職に参集頂くのであまりに寂しい法要では申し訳ないと思い地元の新聞に小さな広告でも出そうかと思案していたら、旅行会社から連絡がありバス2台で法要を拝観したという…


法要の参拝者を100人くらいと設定していたが、70人の拝観となると今度は堂内が手狭なのではないか…という逆の心配をしなければならなくなった。



大きい法要となるとやるべきことは山積していて毎日バタバタしている。



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