油麩 近藤先生 お天道様と阿弥陀様

  




最近気に入っている食材が麩を油で揚げた「油麩」。



油麩を肉の代わりにして“肉ジャガ”(麩ジャガ?)にすると濃厚な油麩の食べごたえが堪能できる。





近藤先生、「がんは放置」で本当にいいんですか? (光文社新書)

近藤先生、「がんは放置」で本当にいいんですか? (光文社新書)




図書館で近藤誠『近藤先生、「がんは放置」で本当にいいんですか?』を借りた。




自分や家族がガンになった時どうするか…一度は考えておかねばならないことだと思う。



近藤誠氏の著書には考えさせられる指摘が多い。近藤氏の意見に全面賛成、全面反対ではなく、自分でガンについて考える材料として近藤氏の著書を読まれることを広くお勧めしている。








お彼岸も終って一息ついたところである。



暑さ寒さも彼岸までとはよく言ったもので、陽春に心をくすぐられる季節である。





彼岸の中日にあたる春分秋分は、太陽が真東から昇り、真西に沈むので、西方に沈む太陽を礼拝し彼方の極楽浄土に思いをはせたのが彼岸の始まりとされるが、先日、産経紙のコラムで「彼岸」とは「日願」(ひがん)に由来するという説が紹介されていた。


日本人にとって大きな節目は正月、お盆、彼岸ではないかと思うがそれぞれにおいて先祖に思いを馳せる機会でもある。



正月の行事には日待ちやご来光のように太陽に関わったものが多い。



彼岸だけに限らず、お盆にも太陽への祈念が行われていたかもしれない…即ち正月、お盆、彼岸は本来太陽崇拝と先祖供養がセットになっていたのかもしれない…といつものように妄想ワールドへ。



太陽崇拝などというのは原始的な行為…と一笑に付されるかもしれないが、人類にとって最大の恩恵のひとつは太陽が存在することではないだろうか?


まさにお天道様なのである。


そして自分という存在がご先祖様たちの営々たるつながりの上にしかないことを考えればご先祖への感謝の思いも至極当然なものではないだろうか。


むしろそうした自然なる感謝を顧みず、一笑に付する文明社会のほうに問題を感じるべきではないだろうか。



大和の古寺〈7〉浄瑠璃寺・岩船寺・海住山寺

大和の古寺〈7〉浄瑠璃寺・岩船寺・海住山寺



京都府木津川市にある真言律宗浄瑠璃寺は九体の阿弥陀如来が現存する。



院政期にはこうした九体の阿弥陀如来を安置した寺院が沢山造営されたという。さぞ壮観であったにちがいない。



浄瑠璃寺が創建された当初の本尊は薬師如来であったらしい。



薬師如来は東方にあるとされる東方浄土「東浄瑠璃世界」の教主とされる。(従って浄瑠璃寺という寺名もこの浄瑠璃世界に由来するものであるらしい)一方、阿弥陀如来西方浄土である極楽世界におられるとされる。



(極楽とは地獄の反対としての「天国」と認識されている場合が多いが、本来は沢山ある仏国土のうち阿弥陀様の浄土が極楽なのである)



薬師如来は現世の苦悩を救済する現世利益の仏様であるのに対して阿弥陀如来極楽往生をもたらす仏とされた。



この世でなに不自由なく暮らす貴族が現世利益より極楽への往生を願ったのも理解できる。



浄瑠璃寺にはまだお参りしたことがないが一度は九体の阿弥陀様を拝して平安貴族の思いに心を馳せてみたい。






【死んだ愛犬を弔うために彼岸に天王寺に詣でる「天王寺詣り」は松鶴の十八番。】



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