台風一過 そのままでいい

台風一過。



昨日は予報に反して夕方までくもり空。夜半より強雨。



午前中に法事が1件あり、もし強く雨が降ったら法事の後のお墓参りはどうなるか…と思っていたのだが予想外に無事に法事を終えることができた。施主さんもとても喜んでおられた。






赤れんがパークでイベントがあり、飲食系のお店もたくさん出店するとHPで拝見。


オムライス、たこ焼き、焼きそば、うどん、クレープなどなど…家族サービスと昼食を兼ねてでかけたが…


いくらさがしてもお店がないのでおそるおそる尋ねたら台風のため出店の大半は中止となったとのこと。「竹松うどん」のうどんを食べてみたかったのだが…少々がっかりである。






本日で「コード・ブルー」も最終回。


久しぶりに楽しいドラマだったので終了は残念。


コード・ブルー」ロスからアマゾンプライム米倉涼子主演の「ドクターX」というドラマを見つけたが、面白かった。


米倉涼子さんのカッコよさが神がかってます。


こういう時「神がかっている」とは言えても「仏がかっている」とは言えないのは少々残念。





こうした医療ドラマの原型は手塚治虫の「ブラック・ジャック」なのだと思う。




ルール破りの凄腕で一匹オオカミ。表の顔はクールだが、実は人間味がある…



ドクターXの米倉涼子だけでなく「コード・ブルー」の山Pにもほぼほぼあてはまっている。







人体にメスを入れたり、ケガや病気というのは一種のホラーである。




ブラックジャック」でも手術の場面などはかなりリアルな劇画風になっていて今でも覚えているシーンが沢山ある。



漫画的作画がここぞという場面で劇画風のリアルな描写になる。子ども心にはかなり怖かった。



ブラックジャック」は医療が面白くて奥の深いドラマになることを示したと同時に凄腕の一匹狼というキャクラクターも同時に確立してしまった。やはり手塚治虫は天才だ。



ブラックジャック」は医療ドラマに様々な可能性を示したみせた。


宇宙人やミイラを手術するなどという話もあるし、SF、サスペンス、ミステリー、アクション…いろんなジャンルを医療ドラマのなかでクロスオーバーさせた。実に素晴らしい作品である。くどいようだがやっぱり手塚治虫は天才である。

















独創的な身体論の研究者である高岡英夫さんの本を愛読していた時期がある。



最近になって再び、著書を読み返しているが、若いころの感動は案外的外れではなかったと得心している。



最近特に印象に残ったのは呼吸法をあつかった『「ゆる呼吸法」革命』。


高岡英夫さんは東大、東大大学院を卒業されている優秀な方だが、中学生の半ばまでは全然勉強のできない子供だったという。


人生のなかで何人かの大人が高岡氏の良さを認めてくれたり、かわいがってくれたことが人生の原動力になったという。


「子どもにとっては、ありのままの自分を受け入れてもらえさえすれば、ほかには何もいりません。それだけで生きていくことができて、自分を好きになることができるのです」


という主張はもっともだと思う。



<ありのままの自分を受け入れてくれる大人がいる>


子供にとってこのことはとても大切ではないだろうか。


そしてありのままではなく、勉強やスポーツができたときだけ認めてもらえる子供はとてもかわいそういだと思う。


しかも多くの場合、何かができたときではなく、できるようになるために努力しているときだけ認めてもらえるというのが実際である。


今の子供たちは随分と拘束や緊張を強いられているように感じる。


現在でもバスケットボールの神様とて数々の伝説をもつマイケル・ジョーダン選手はフィル・ジャクソン監督と強い絆で結ばれていたことが知られている。


ジャクソン監督は禅やヨガなど東洋思想に造詣が深く、人間の存在を西洋科学だけで考えられていうような存在ではなく、もっと奥深いところからとらえるという考えを持っていたとされる。特に禅宗の僧侶からは親しく指導を受け「ゼン・マスター」と呼ばれた。



そして選手1人1人についても奥深いところまで観て、理解し、育てることができたという。


マイケル・ジョーダンもジャクソン監督の指導を受けることでその才能を大きく開花させたとされる。





関連する部分を少し引用する。




『家庭でいうと、お父さんやお母さんが子どもをどういう存在とみるか、ということになります。

では、あなたは子どもという存在をどのように判断しているでしょうか?
勉強やスポーツができて、学校行事には率先して参加し、クラス委員にも選ばれるような、いわゆる優等生が「いい子」、逆に、勉強やスポーツができなければ「悪い子」、というものの見方にとどまっている場合が多いのではないでしょうか。


しかし、ジョーダン選手を育てたジャクソン監督は選手を決してそういう表面的なところあけではみていませんでした。プロスポーツは結果がすべてですから、毎年が勝負の連続。チームの成績がふるわなければ、監督は更迭されてしまう厳しい世界です。長い年月をかけて子育てをするお父さんやお母さんより、時間的には、はるかに切迫しています。それにもかかわらず、ジャクソン監督は選手を深く本質的にみて、理解しました。同じように、お父さんやお母さんも、奥深いところで子どもをみてあげることが必要です。
 以前、スポーツ少年団を指導していたことがあります。何百人もの子どもたちの面倒をみていましたが、その中にこんな男の子がいました。
 勉強はまったくできないし、落ち着きもない。スポーツはできるかというと、それもダメで学校行事にも消極的。世間一般の価値観からすればダメな子です。お父さんやお母さんは頭を抱えていて、私も何度となく愚痴を聞かされました。
 でも、私はその子の別の側面に注目し、彼を高く評価していました。なぜかその子がいるとその場がたたかくなり
周囲の人の気持ちをなごやかにするような不思議な雰囲気があったのです。
 お父さんやお母さんにしたら「それが何の役に立つの?」ということになるかもしれません。でもそういうことも含めて人間存在です。実利的な価値観だけでなく、子どもの音材そのものをとらえてあげないといけません。
 その子は大人になって看護師になりました。男性の看護師はまだまだ多くありません。時代を先駆けた職業の選択といえます。果たして、彼はとてもあたたかい人柄で、患者さんからも、仕事のパートナーである女性の看護師や医師からもとても信頼されています。
 病院というのは、命の危険にさらされている人や、病気やケガでまいっている人たちがたくさんいますし、そのケアをする病院のスタッフも精神的に追い込まれていきます。そんななか、彼のほっとするようなあたたかさは、まわりの人にとって支えになるのです。
 なるほど彼は一流大学にも進学せず、一流企業や官庁には就職しませんでした。でも、そのすぐれた部分がきちんと活かされて、かたちになっているのです。』







実際には勉強もスポーツもできない子どもは苦労しがちなのかもしれない。



それでも子どもたちが自分自身が存在するという価値をしっかりつかまえて生きていってほしい。


そのためにも親が狭い価値観にながされないことが必要だろう。同時にこれからの世の中は人間の価値をもっと広く観る社会になってほしいと思う。

さらには…


存在することそのもに価値があるということの根源には仏教の説くところの


『誰もが仏性をもつ』


ということにどこかでつながっているはずだと思う。



1人1人が自分に深い価値を認め、誰もがお互いの価値を認め合う、そんな世の中であってほしい。




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