安寿と厨子王の寺 盆ミス
一昨日は由良の如意寺というお寺で法要があった。
由良は「山椒大夫」で知られる安寿と厨子王の物語の舞台である。
如意寺の地蔵菩薩は肩口に大きな傷があり、これが厨子王の身代りとなった傷だとされる。
由良は舞鶴から40分ほどの距離だが風土も少し違う、海のそば特有の乾いた空気を感じる。
如意寺の御住職の御話では人情に厚く穏やかな方が多いそうである。
如意寺は私のいる金剛院とも歴史的なつながりがあり、これからも法要に出仕させて頂く機会もあるやに思う。
安寿と厨子王の物語は子供の頃、読んであまりに悲惨すぎて衝撃的ですらあった。
親子が引き裂かれ、姉弟が引き裂かれる。
最後の対面の場面もハッピーエンドというにはあまりに悲しい。
かっては説教節としてこの物語が音曲にのせて語られたが、往時の人々はどのような心情でこの悲しい物語を聞いたのだろうか。
- 作者: 森鴎外
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棚経、施餓鬼などお盆の一連の行事が終わった。
この時期、あの時こうすればよかった、実はあんな失敗をしていた…みたいなお盆の反省期間でもある。
この時期、お盆のいろいろなミステイク、「盆ミス」が次々と発覚する時期でもある。
「噠嚫」というのは仏教的では供物、供養、財施などの意味を持つがお寺に出仕下頂いた僧侶の方への御礼にこの言葉を使うことが多い。在家の方がお寺にお布施と書いて財施されるようなものである。(但し宗派や地域によって実情は様々である)
私もお寺の方への御礼にはこの文言を使うのだが…
お盆にある御住職に渡した包みに「嚫」の字を口編に「親」ではなく「新」と書いていたことを今頃、気が付いた…(大汗)
その御住職お逢いしたら何と言おうか。
「霊験“新たか”な法力を頂いた」という意味を込めております…
そんな言い訳は…
多分通用しない(涙)
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