松尾寺大祭 道教系曼荼羅と妄想
本日は松尾寺(西国観音霊場二十九番札所)で観音講が行われた。
松尾寺に到着するとかなりの雨模様…
屋外の柴燈護摩を主体とした行事なので雨天はかなりこたえるのである。
幸い開始直前になって雨が止み始めた。
私は宝弓師といって矢を射て道場を結界する役割。
天候不順の為、例年より参拝も少なかったが、大きな問題もなく終了。
大祭の後、寺宝を収めた収蔵庫を見学させて頂いた。
御住職自ら寺宝の解説をしてくださり実に興味津々の内容であった。
今回の展示で興味を引いたのは重文の終南山曼荼羅。
まだ数回しか見ていないが実に沢山の情報を含んでいる。
終南山曼荼羅は曼荼羅といっても金剛界曼荼羅、胎蔵界曼荼羅のようなシンメトリックな構図ではなく、ストーリ性を感じる画面で、道教の聖地終南山を描いたものである。
道教では三尸という3種類の存在(殆どミニ妖怪である)が人間の体内に居てその人間の悪行を報告すると信じられていた。
庚申の日に天帝にその悪事が報告されるので、天帝に悪事を報告されないように徹夜する庚申講は広く行われたとされる。
尤も、庚申の日というのは夜を徹して会食、座談などが行われたのではないかなという気がしないでもない。
子供にとってはクリスマスがプレゼントをもらえる日であるがごとく、
案外そちらがメインの行事だったのではないか…
文化というものは単に信仰や宗教といった単一の視点だけでは割り切れないものがある。
この曼荼羅には五臓、三魂、七魂といった道教の神が描かれている。
七魄は七つの感情を意味する。東洋医学で現在も七情と言われるものがそれに該当するのだろう。
三尸というのの人間の身体を上真ん中下にあるとされが、これも東洋医学でいうところの上焦、中焦、下焦との対応が興味深い。
終南山は「南山」とも別称されるが、観音信仰では南とは観音の世界を指す場合が多い。
終南山(南山)があくまで道教の聖地だけを指すのか、
それともそこに観音信仰の反映があるのか…
今回、松尾寺の御住職が曼荼羅を赤外線撮影した写真を示しながら説明して下さった。
曼荼羅を赤外線撮影すると肉眼では見えない様々な細部が明らかになるという。
しかもこの赤外線写真は御住職自らがデジカメで撮影されたものだという。
ふと、自分も赤外線撮影のできるカメラで文化財を撮影してみたいと思った。
お寺に保管されている書画や墨跡などのなかには既に判読不能のものが少なくない。
赤外線撮影という手段を使えばきっと何か発見があるのでは…とちょっとワクワクしている。
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