「お坊さんが隠すお寺の話」
本日の午前に舞鶴市の斎場で納灰法要が行われた。
斎場で荼毘に付された諸精霊を市内の寺院が合同で供養するのである。
ところでここ数年、この納灰法要への参加者が急速に減っている。
故人を弔うという気持ちに大きな変化が生じているのが肌で感じられる。
<弔う>という心が希薄になりつつあるようなそんな気配を感じるのである。日本人はどこへ行こうとしているのか、これからしっかり見定めていかなければならないという気がする。
法要を終えて山寺に帰ると、ブログを読んで山寺に関心を持って下さった方がわざわざ京都市内から来てくださったとのこと。お遭いできずに残念だった。お坊さんというとお寺にずっと居るというイメージがあるが案外出かけることが多いのである。ご来院下さった方にはこの場を借りてお礼申し上げる次第である。
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先ごろ29万部も売れたという「葬式は、要らない」に対して「葬式は必要だ!」という本が出版されたと聞く。中身は未見だが、投じられた一石に真摯に答える必要はあるだろう。
それでなくても仏教に対する批判や叱正が多い。ただ誤解や事実に基づかないものについては反論することも大事だと思う。蟷螂の斧の謗りは免れないが。昨日買ってしまった「お「お坊さんが隠す仏教の話」も建設的意見が少なくない。ただあまりに偏見が多いのが残念である。
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カバーにはこんな言葉が記されている。
日本人から信心が失われて久しい。それでもお寺は、「葬式仏教」を頼みに、かろうじて生き延びてきた。しかし、葬儀はマンネリ、法外なお布施や戒名料ばかりを要求する一部住職に、檀家さんの我慢は限界寸前。結果、仏教に頼らない葬儀が急増、さらに過疎化や後継者難の影響もあって、地方の末寺は崩壊の危機に......。自業自得の日本仏教に、再生の道はあるのか。お坊さんが黙して語らない、それでも知っておきたい、現代のお寺事情。
「自業自得の日本仏教」には笑いましたね…
仏教批判のベースにあるのは…
国家権力は悪であり庶民は善良なる存在である。権力者は庶民を支配し、搾取し続けてきた。という歴史観=社会観である。
その中に既成の仏教がどう位置づけられるかというと江戸時代に仏教は寺請制度などにより国家の強権的支配を補完し、自らは堕落したということに尽きるではないかと思われる。
こうしたかなり左傾的歴史観については私は大いに疑問を感じる。
寺請制度の出発点になった隠れキリシタン弾圧については何度も書いているが、当時の隠れキリシタンには相当に急進的な部分があって、地域のお寺を全部焼き討ちにするといったかなり過激なことが行われていた。弾圧されても当然だったのではないだろうか。
キリシタンというとなぜかとても純粋で信仰に生きた人々というイメージがあるがどうも間違いのような気がする。<寺請制度によるキリシタン弾圧に正当性や必然性があった>という主張にはお目にかかったことがないが、一度、専門家の意見を伺ってみたいものである。
<日本仏教は歴史的にずーっと悪いことをやってきた>という遠景がまずあって、現代仏教が批判される。これは仏教にとってはかなり部が悪い。ただそれが事実に基づいていればの話である。この点について私は多いに反論の余地があると思うのだが、寺請制度の実態をはじめ歴史的なもう少し調べてから書いてみたいと思っている。
お寺の内側にいて感じるのは古いお寺の多くにとって明治期の神仏分離令と戦後の農地解放の2つは大変な試練だったということである。この2つによってお寺は決定的な打撃を受けた。権力は決してお寺に優しくはないのである。
実は村井氏の批判のベースにあるのは葬儀で高額なお布施を求められるという典型的な葬式仏教批判ではないかと思う。
左傾的仏教批判×葬式仏教批判
というのがこの本の骨組みであり、従来の仏教批判の定石と言えなくもない。
この本についてはいろいろと書いてみたいことが山ほどあるのだが、本書には<菩提寺というのは葬儀になると突然やってきてがっぽりお布施をもっていかれる>という内容のことが繰り返しかかれている。
だが最近流行の直葬は別にして普通に伝統的な葬儀を行うなら菩提寺があったほうがお布施は安くなる場合が多い。
なぜなら菩提寺を持たない人が葬祭業者に僧侶の仲介を依頼するとかなりの確率で高額の仲介料を取られるからである。
お布施が高いということに対して批判が多いが実際にはお布施と思っているものの中には葬祭業者への仲介料が相当含まれているのではないかと思う。菩提寺を持たない人の多い都会では特にその傾向が顕著である。
以前に都会で亡くなった檀家さんの師弟の葬儀を依頼されたことがあるのだが、同じ日に別の檀家の葬儀があったためにどうしてもお受けできなかった。その方が葬祭業者に僧侶を紹介してもらったら地元での葬儀より相当高額のお布施を要求されたと後から聞いた。
人の死に関わるという責任は大変に重い。故人の魂を供養し、遺族の心を慰めるというのはなかなか大変な仕事である。
葬儀自体は僅か1時間ほどのことであっても菩提寺としてその先ずーっと故人をめぐって檀家とお付き合いがある。まして高額のお金を頂くことと合わせると責任はさらに重くなる。
「自業自得」という仏教の考え方によれば高額の金品を受け取ってそれをなおざりな葬儀をすればまさに自業自得という結果が訪れることになる。村井氏はいうかもしれない日本の仏教の衰退は正にその結果であると。
もっといろいろ書きたいのだが本日はこの辺で…
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