ガスパチョ ホタル狩 洞窟幻想
先日、法事に行ったお宅で自家製のトマトをどっさり頂いた。
こういうときはガスパチョである。
暑い季節に新鮮なトマトで作ったガスパチョほど美味しいものはないのである。
夜9時頃、思いついて娘にホタルを見せることにした。
マムシにでも噛まれてもらうと困るので娘を背負って、懐中電灯を持って出かけた。
山門を出ると、山門の向かいにある駐車場に不審な車な1台停車していた。
車内は真っ暗でクーラーだけかかっている。
何をしているのであろうか…
サッパリ分かりません(笑)
肝心のホタルは3匹ほど見つけることができた。
もうちょっとゆっくり探したかったが少し離れたところで動物の気配がしたので慌てて帰ってきた。
なぜ慌てて帰ったかというと…
結婚して間もなく、妻にホタルを見せようとして暗い農道を歩いていたら藪の中にイノシシが居て、
ものすごい戦闘モードの威嚇の鳴き声を出されたのでメチャ怖かったのである。
今年は例年になく雨が少ないのでホタルも少ないのかもしれない。
- 作者: 中村元
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2004/09/11
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中村元先生の「古代インド」にはインドの石窟寺院の話がでてくる。
インドでは石窟の中が寺院として造作されたのである。
恐らく熱暑のインドにあって石窟とはすごしやすい空間であったのだろう。
その中で瞑想し、マントラを唱えたに違いない。
昼なお暗い洞窟は瞑想し、祈念するのは優れた空間だったのではないだろうか。
真言を唱えれば反響し、共鳴したかもしれない。
胎蔵界というのは生物的な印象を受ける。
生み出され、また還ってゆく…
ところで石窟は単なる物理的な暗所というより胎内を連想させる。
洞窟そのものが胎蔵的空間だったのではないか…
空海が室戸岬の洞窟で修行を為されたというのはそのことと少なからぬ関係があるのではないだろうか。
胎蔵界曼荼羅を凝視していると中央から生まれ生成発展していくようにも、また中央に帰一し、還っていくような感覚も生じる。
別の言葉で表現するなら胎蔵界曼荼羅というのはそこに洞窟的空間を現出する装置だったのだろうか。
蓮はインドの水辺では普通に見られる植物だが、蓮の生態を見ていると同心円的に成長していく様子が曼荼羅、特に胎蔵的な配置に見える。
そもそも…
往生するとは彼岸に往きて生まれる、再生するということである。
極楽往生するとはではどのように再生するかというと
蓮華の中からオギャアと?生まれるのである。
ここでも胎内的なイメージが濃厚である。
洞窟 蓮華 胎蔵界
この3つはどのようにつながるのか…ちょっと面白いテーマだと思っている。
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