キティ様が降臨  郷土の偉才 新宮凉庭




クリスマスに、家族で多摩センターにある“サンリオピューロランド”へ。




完全屋内型施設なので真冬には快適だった。




施設の大きさも1日で回れる規模である。



クリスマスなので激混みかと思ったのですが案外すいていました。





スタッフさんやキャストさんの真面目さ、本気度も好感がもてました。






ゴンドラに乗ってキティ様が降臨されます。なんか神々しい…

















由良の門(と)を 渡る舟人(ふなびと) かぢをたえ 
   ゆくへも知らぬ 恋(こひ)の道かな

           


曽禰好忠の歌に詠まれた「由良の門」は現在の宮津市にある由良川の河口であるとされる。



天明7年この由良の寒村に生まれた新宮凉庭なる人物があった。



新宮凉庭は漢方医の息子であったが長じては自らも医師を志し、当時流入していた西洋医学に触れるやこれを貪欲に吸収し、名医としての評判を得た。



当時は年間に千両稼ぐ医師を「千両医者」ともてはやしたが、新宮凉庭は大名から熨斗付きの千両箱が届くこともあったという。実に「万両医者」とも言える名医であった。る。



訪れる患者の列は蟻の如く、オランダ人医師も治せなかった病を即座に完治させるなど面目躍如の感がある。



由良は現在は宮津市であるが、元来は田辺藩城下であり、新宮凉庭を郷土の偉才と呼んで差し支えないだろう。



富貴を好まず、倹約に努め、両親に孝養を尽くし、郷土にも巨額の財政的援助を惜しまないなどその人柄と業績には多いに感銘を受ける。




教養があり、公徳心に富み、学術に長け、経理実学に秀でる…近世にはこういった優れた人物が輩出し、それが明治の近代化にもつながっていったのだろう。




なぜ、唐突に新宮凉庭なる人物をとりあげたかというと地元の方からこの「新宮凉庭集」を献本していただいたのである。



新宮凉庭の著した「西遊日記」など三篇の原文と現代語訳が収録されている。



その内容は治療記録、旅行記、人生訓、世相批判など多岐にわたる。



片言隻句というがそこには当時の風俗、気候、経済、文化などが実に興味深く記されている。それらを拾い読みするだけでも実に面白い読み物である。



新宮凉庭は天保10年(1839年)、南禅寺の門前に私財を投じて医学校「順正書院」を開設した。順正書院は後の京都府立医科大学の基礎となる。




順正書院はオランダ医学の膨大な蔵書を所有し、当時の医学校としてきわめて開放的、合理的な教授方法を採用した。また京都にあって貴重な文化サロンの役割も果たしたという。




玄関脇の石門には「名教楽地」という文字が刻まれている。



「名教の内、自ずから楽地有り」という「晋書」の言葉に由来したこの書には、「人の行なうべき道を明らかにする教えを行う中に、おのずから楽しい境地がある」という意味が込められている。



順正書院の跡地は湯豆腐料理の名店「順正」として活用されている。







【以下の記事を参考にさせて頂きました】
http://www.kimurasentaro.com/note/no010_1.html





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