門松の竹が斜めに切られる理由
【お知らせ】
昨日、今年最後のHPの更新を致しました。
ご笑覧下さいませ
http://ujimaccya69.hp.infoseek.co.jp/
【今月の寺門興隆】
最近、夜になると裏山からイタチが出てくるらしい。
実害はないのだが、イタチに反応して飼い犬のバロンが夜中にうるさくほえまくるので閉口である。困ったことである…
ようやくお正月の準備がひと段落である。
一服しているところにお坊さん専門誌「寺門興隆」1月号が届いた。今月もネタになりそうな話が満載である。
お正月の門松は竹を斜めに切るがその由来が載っていた。
遠州三方ヶ原の戦いで武田信玄に敗れた徳川家康は浜松の居城に逃げ込んだ。
1572年の暮れのことである。籠城のまま歳を越し徳川軍の居城を囲む武田軍から年始の挨拶として送られてきた書状にこんな歌が書かれてあった
松枯れて竹たぐひなきあしたかな
松=松平(徳川)が廃れ、竹=武田が栄えるめでたい元旦である…というのが歌意。
その返信には以下の歌が添えられていた。
松枯れで武田首なきあしたかな
松平(徳川)が滅びず、武田信玄の首が飛ぶなんとめでたい元旦である…という歌意。
かなで書くと濁点を付け替えただけであることが分かる。
なかなか機知に富んだ返歌である。
この歌を見て徳川に知将の居ることを悟った信玄が兵を引いたというのは出来すぎた話だが、江戸幕府が開かれてからは正月になると江戸城の全ての門に この故事に習って竹の先端を斜めに切った竹を使った門松が飾られるようになったそうである。
日本人は戦国時代の話が好きであるが、私たちの気づかない所に戦国の遺風が脈々と受け継がれているというのはちょっと不思議に感じる。
もうすぐお正月である。